「港神戸の発展に貢献した総合商社の源流・鈴木商店」講演会で、九州大学大学文書館協力研究員・北九州市門司麦酒煉瓦館館長の市原猛志氏が講演されました。

2020.2.19.

P1060658.jpg神戸市主催の「港神戸の発展に貢献した総合商社の源流・鈴木商店」第4回講演会で、九州大学大学文書館協力研究員・北九州市門司(もじ)麦酒(ビール)煉瓦館(れんがかん)館長にして当記念館の編集協力者でもある市原猛志(たけし)氏が講演されましたのでご紹介します。

【市原猛志氏 講演概要】
P1090740 (1024x769).jpg日時 : 令和2年2月15日(土)  14:00~15:00

場所 : 神戸ポートオアシス5階 503会議室(神戸市中央区新港町5番2号)

主催 : 神戸市(港湾局 計画部 港湾計画課)

演題 : 「北九州産業遺産と鈴木商店関門コンビナート」~日本遺産"関門ノスタルジック海峡"と鈴木商店(こう)(さい)煉瓦(れんが)による建物群 ~


【市原猛志氏プロフィール】
九州大学大学文書館協力研究員・博士(工学)、(一財)産業遺産国民会議客員研究員、産業考古学会理事、北九州市(仮称)平和資料館担当学芸員、北九州市門司麦酒煉瓦館館長、鈴木商店記念館編集協力者、近代建築を中心とした近代化遺産・産業遺産の研究で知られ、北九州産業遺産の第一人者。

(主な著書)「産業遺産巡礼(日本編)」(2019年 弦書房)、「産業遺産を歩こう」(共著、東洋経済新報社)、「北九州の近代化遺産」(共著、弦書房)、「日本炭鉱都市」(共著、ライフ出版社(韓国))ほか多数

講演会は主催者である神戸市港湾局 計画部 港湾計画課の田中謙次係長の司会で始まり、まず市原氏のプロフィールと演題が紹介されました。

P1090742 (1024x769)2.jpg明治32(1899)年、鈴木商店の大番頭・金子直吉は台湾樟脳専売制の成立に協力し、台湾総督府初代民生長官・後藤新平の信頼を勝ち得るとともに、鈴木商店は台湾における樟脳油の65%の販売権を取得しました。

その後、金子は台湾の(キー)(ルン)に自前の製糖工場を建設すべく後藤から相談を受けましたが、最終的には門司市大里(だいり)地区の大川の良質な水、豊富な石炭と労働力、アジアに近い立地・利便性に着目し明治36(1903)年、日本初の臨海製糖工場となる大里製糖所(現・関門製糖)を設立しました。

大里製糖所の生産が軌道に乗り出すと、先発大手の大日本製糖(明治39年、日本精製糖と日本精糖が合併、後・大日本明治製糖)にとっては大きな脅威となったため、同社は大里製糖所との合併を画策しましたが金子はこれに応じず、買収なら応じるということになり明治40(1907)年、鈴木商店は投資総額250万円の大里製糖所を650万円で売却しました。これにより、鈴木商店は巨額の余剰資金を獲得しました。そして、このことが後の鈴木商店の飛躍のきっかけになりました。

巨額の資金を得た鈴木商店は、大里地区を中心に再製塩工場[明治43年]、大里製粉所(現・日本製粉)[明治44年]、帝国麦酒(ビール)(現・サッポロビール)[明治45年]、大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー)[大正3年]、大里精米所[大正4年]、神戸製鋼所門司工場(現・神鋼メタルプロダクツ)[大正6年]、日本冶金(現・東邦金属)[大正7年]など、明治後期から大正中期にかけて工場を次々に建設していきました。
         kyuudairisenhunnsyosouko.PNG              旧・大里製粉所倉庫(現・ニッカウヰスキー門司工場倉庫)

また、関門海峡を挟んだ対岸の彦島・下関地区においても同様に、日本金属彦島製錬所(現・三井金属鉱業傘下の彦島製錬)[大正5年]、彦島坩堝(るつぼ)(現・日新リフラテック)[大正7年]、クロード式窒素工業(後・東洋高圧工業、現・下関三井化学)[大正11年]ほか化学工業を中心に鈴木系企業が次々に進出し、大里地区と同様に一大工場群が形成されました。

平成29(2017)年4月、北九州市と下関市が共同で申請していた「関門"ノスタルジック海峡"~時の停車場、近代化の記憶」が日本遺産(Japan Heritage)に認定されました。

この日本遺産を構成する文化財は関門海峡の沿岸部に点在する40弱のレトロな建造物が中心で、この中には鈴木商店が明治後期から大正期にかけて海峡沿岸に建築した工場群の一部(*)が含まれています。

(*)「旧・サッポロビール九州工場 事務所棟・醸造棟・組合棟・倉庫」(旧・帝国麦酒の工場群)、「ニッカウヰスキー門司工場倉庫」(旧・大里製粉所倉庫)、「ニッカウヰスキー門司工場 製造場」(旧・大里酒精製造所 製造場)

これらの多くは煉瓦造の建造物として地域の歴史的景観に貢献していますが、一部には灰色や薄茶色の煉瓦が使用されており、他の地域でも見られる赤煉瓦とは異なる色合いを持っています。これらは「鉱滓煉瓦」(こうさいれんが)と呼ばれる「焼かない煉瓦」の一種です。

市原氏には、これら鈴木商店か建設した工場や倉庫を中心に、北部九州で広く用いられた鉱滓煉瓦の発明と生産、普及に至るまでを分かりやすく解説していただきました。

1.鉱滓煉瓦(こうさいれんが)とは
・銑鉄生産時に30パーセント(19世紀当時は60パーセント)ほども発生するスラグの処理については世界各地における製鉄業の大きな課題の一つであった。

Friz W. Lürmann.PNG『鉱滓煉瓦は鉄を生産する際、高炉での銑鉄精製の際に出来る副産物の高炉スラグを原材料としており、石灰と急冷水砕スラグ(高炉から取り出したスラグに水を噴射して粉砕したもの)を加圧成型して製造する。

赤煉瓦や耐火煉瓦などが"成型(せいけい)"と"焼成(しょうせい)"という工程を経るのに対し、鉱滓煉瓦は焼成工程を経ず、かつ潜在水硬性を持ち、赤煉瓦に比べて耐圧力が強く、吸水量が少なく断熱性に優れ、廉価であることが特徴である。

鉱滓煉瓦は1865年、石灰と水砕スラグを加圧成型する製造法を編み出したドイツのFriz W.Lürmann(左の写真)によって発明され、世界各地に普及した。わが国では、官営八幡製鐡所がこの技術を導入し、明治40(1907)年から生産を行った。

非焼成ながら一定の強度を持つ鉱滓煉瓦の登場は、鉄の生産の拡大とともに急速に地域内の普及につながり、煉瓦および煉瓦様式の歴史は多様性に満ちたものへと進化した。』(講演会レジュメより要約)

・鉱滓煉瓦は日本の産業革命における特徴的な建築材であるが、明治40(1907)年の生産開始からおよそ80年しか生産されなかった。わが国では北九州を中心に広く普及し、地域固有の代表的な構造材となった。

・鉱滓煉瓦の製造方法についても、パワーポイント資料により解説していただきました。

2.からみ煉瓦・桃色煉瓦との比較
鉱滓煉瓦と銅などのスラグから造る「からみ煉瓦」、「炭滓煉瓦」(桃色煉瓦)との違いについて解説していただき、あわせてスウェーデンの事例を画像でご紹介いただきました。

・わが国が近代製鉄を導入する以前、18世紀のドイツやスウェーデンでは高炉式製鉄で大量に発生する鉄鉱滓を谷に埋めたり、鋳造し大砲の弾や建材として使用していた。銅鉱滓煉瓦(からみ煉瓦)はわが国における明治期の多くの銅鉱山および精錬所で一般的に見ることができる。

※末尾、講演会レジュメの「表1」ご参照。

3.鉱滓煉瓦の発明と普及
鉱滓煉瓦の発明と普及について詳しく解説していただきました。

・1862年、ドイツのEmil Langenはボタ山において高炉スラグが徐々に硬化する現象を発見。1865年、前記のとおりドイツのFriz W.Lürmannはパイプ形式で水砕急冷した高炉スラグにアルカリ刺激として消石灰を加え、空気中にしばらく置くことで硬化する煉瓦製造法を発明した。

・Lürmannは自らが発明した鉱滓煉瓦製造の特許を取得すると1866年、オスナブリュックのゲオルグスマリエン製鉄所において組積用煉瓦を製造した。現在でもドイツ各地には鉱滓煉瓦構造物が点在している。

・Lürmannは高炉設計技術者として官営八幡製鐡所東田第一高炉の設計にも関与した。⇒ Lürmannによる鉱滓煉瓦製造法が、日本に伝わる鉱滓煉瓦製造法の基となった。

4.現存する各地の鉱滓煉瓦構造物
三池炭鉱万田坑、旧・三菱合資若松支店、川棚海軍魚雷発射試験場(長崎県)、旧・特牛製氷所(下関市)、都城市二階倉庫等各地の鉱滓煉瓦構造物について画像でご紹介いただきました。

5.官営八幡製鐡所における鉱滓煉瓦の生産
・官営八幡製鐡所では明治40(1907)年6月、資材科長・三好久太郎、掛長・黒田泰造の体制で鉱滓煉瓦の生産を開始。大正期に入り、門司(大里地区)の鈴木商店関連企業や小倉の陸軍第十二師団、三池炭鉱などが廉価な鉱滓煉瓦を採用すると生産を増強した。

・鉱滓煉瓦の具体的な製造方法は、同製鉄所内で生産した生石灰と粉末スラグ、さらに水砕急冷スラグを混ぜ、約4週間~3カ月自然養生し、石灰のアルカリ刺激による硬化を待った。なお、当初鉱滓煉瓦の生産はすべて女工による手作業で行われていた。
    kousairenngateseikeisagyou.jpg             官営八幡製鐡所における女工による鉱滓煉瓦手成型作業の様子

・八幡製鐡所で生産された鉱滓煉瓦は、当初製鐡所内の製材課によって直接外販された。当時掛長であった黒田泰造によって業界各紙に鉱滓煉瓦の長所が紹介され、これを逸早く採用したのが鈴木商店であった。

6.大里製糖所設立、鈴木商店による工場群建設
冒頭でご紹介しました大里製糖所設立、鈴木商店による工場群の建設について解説していただきました。

7.鈴木商店の鉱滓煉瓦採用と関門エリアに現存する鉱滓煉瓦建造物群
・鈴木商店が鉱滓煉瓦を使用した最大の建造物が、現在「門司赤煉瓦プレイス」として活用されている「旧・帝国麦酒の工場」である。
 mojibiirurengakan1.PNG        左は旧・帝国麦酒事務所(現・北九州市門司麦酒(ビール)煉瓦館(れんがかん))、右は旧・帝国麦酒仕込場

nihonnkinnzokujidaikaranosouko.PNG・その他、鉱滓煉瓦の優れた断熱性を生かした「旧・大里製粉所倉庫」 (現・ニッカウヰスキー門司工場倉庫)など醸造用の建物や旧・浪華倉庫(現・渋沢倉庫)の倉庫、さらには「旧・神戸製鋼所門司工場」(現・神鋼メタルプロダクツ)、 「旧・日本金属彦島製錬所」 (現・彦島製錬)、 「旧・彦島坩堝(るつぼ) (現・日新リフラテック)の工場防火壁などの大規模煉瓦構造物が現存している。(左の写真は彦島製錬の日本金属時代からの鉱滓煉瓦造りの倉庫。[ご参考])



なお、これらの構造物は外観は赤煉瓦造りであっても、内部に鉱滓煉瓦が使用されているものが多い。

8.まとめ
・鉱滓煉瓦は赤煉瓦に比べて断熱性に優れていたことから、鈴木商店アルコール工場(現・ニッカウヰスキー門司工場)や浪華倉庫など鈴木商店関連の醸造に関連する施設や倉庫で多く採用された。また、軍関係の倉庫施設にも採用が進み、現在でも九州北部一帯で100件ほどの八幡製鐡所製鉱滓煉瓦の構造物が確認できるが、うち半数は北九州市および下関市の施設である。

鈴木商店の大里・彦島における工場群の建設については、次の「地域特集」もあわせてご覧下さい。

地域特集>大里(門司)
地域特集>彦島(下関)

P1090822 (1024x769).jpg当日は、あらかじめ予約を申し込まれた90名余(関係者を含む)の方に参加をいただき、参加者は鉱滓煉瓦に関する綿密な実地調査(ヨーロッパを含む)と洞察力に裏打ちされた解説や数々のエピソードに熱心に耳を傾け、第4回目の講演会も大好評のうちに終了しました。

なお、講演会の最後に、司会の神戸市・田中係長より、今年4月17日(金)~19日(日)の3日間、脚本家・演出家の村田裕子氏が主宰する劇団「LiveUpCapsules」による、金子直吉を中心に世界を舞台に闘った鈴木商店の社員たちの奮闘を描いた舞台「彼の男 十字路に身を置かんとす」が鈴木商店発祥の地・神戸で再演されることが紹介され、同公演のチラシ(下記の関連資料ご参照)が配布されました。

「港神戸の発展に貢献した総合商社の源流・鈴木商店」講演会は今回の第4回講演会をもちまして今年度のスケジュールはすべて終了しました。

今年度は初めての試みとして「女性研究家から見た鈴木商店」シンポジウム、神戸市内の鈴木商店ゆかりの地を巡る「栄町通散策ツアー」が開催されましたが、4回の講演会とあわせていずれも盛況裏に終えることができました。ここに、参加者の皆様、講師、シンポジスト・コーディネーターの皆様、主催者である神戸市(港湾局 計画部 港湾計画課)の皆様ほか、関係するすべての方々に改めて感謝申し上げます。

神戸市主催の鈴木商店に関係する講演会等は3年前から継続して開催されてまいりましたが、これら一連のイベントを通じまして、神戸発祥の鈴木商店について一人でも多くの方に理解を深めていただくことができましたなら幸いです。

下記の関連資料、関連リンクもあわせご覧下さい。

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