「播磨造船所の歴史⑤」を掲載しました。

2020.2.9.

1_Kaneko Naokichi2.jpg「播磨造船所の歴史」を紹介するシリーズの5回目です。

大正6(1917)年8月、第一次世界大戦に参戦したアメリカが、突然わが国に対し鉄材輸出禁止令の発令を伝えてきました。このアメリカの禁止令は、鉄鋼の生産が少なく輸入に頼っていたわが国の造船事業を即実行不可能にすることを意味していました。

日本政府はアメリカ政府と"日本は鋼材を輸入する代わりに船舶を輸出する"という「船鉄交換」交渉を進めましたが、不調に終わります。そこで、鈴木商店の大番頭・金子直吉(左の写真)は民間造船関係業者を代表して鉄材輸出解禁運動の先頭に立ち大正7(1918)年3月18日、自らアメリカ大使館に赴き、駐日米国大使ローランド・S・モリスとの直談判に臨むことになりました。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>播磨造船所の歴史⑤

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