松原恒七

大阪の砂糖商「辰巳屋恒七」を営む。

松原恒七

生年 文政2(1819)年
没年 明治14(1881)年 享年63歳

「辰巳屋」は、実父松原藤助の奉公先「辰巳屋嘉兵衛」の屋号に由来する。

辰巳屋嘉兵衛は、文化文政の頃、鴻池・天王寺家・住友などと並ぶ大阪10大金持ちに数えられた豪商であったという。松原藤助は、文政7(1824)年に“辰巳屋”のれん分けで大阪大宝町に独立・開業、辰巳屋二代目を継いだのが藤助の次男恒七で「辰巳屋恒七」を名乗る。

恒七の代になって砂糖、べっ甲、象牙、サンゴ類の輸入品の取扱いを始め、明治初め頃には大阪・神戸の貿易商の最大手になっていた。恒七が兵庫・弁天浜に出張所を設けたのはこの頃で、先代岩治郎が辰巳屋恒七の神戸出張所に雇われことが、鈴木商店のルーツである。

恒七には、長男・富士松がいたが恒七の妹夫婦柳田家に幼くして養子に出ていた。恒七が病に倒れると引退を決意し、女婿・藤田助七に本店(大阪・長堀)を、神戸出張所を鈴木岩治郎の両番頭に辰巳屋ののれんを譲ることとなった。こうしてカネ辰・藤田商店、カネ辰・鈴木商店の両辰巳屋が誕生した。

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