編集委員会ブログ>鈴木商店にまつわるこんな話④「鈴木商店のルーツ「辰巳屋」と3つの「カネ辰」」

カネ辰・鈴木商店のルーツは、江戸後期の文化文政の頃の大阪の豪商・辰巳屋嘉兵衛から暖簾分けにより文政7(1824)年、大阪大宝寺町に創業した辰巳屋・松原商店(初代松原藤助)に遡ります。

その後、非凡な才能と進取の気性から鎖国の世ながら砂糖、鼈甲、珊瑚等の貿易を手掛け、事業を拡大したのが二代目藤助(後の恒七)です。

辰巳屋恒七は、大阪本店のほか神戸弁天浜にも出張所を開くほど繁盛しましたが、持病の痛風のため事業継続の危機に直面します。恒七の息子・三代目藤助が家業を継がなかったため、砂糖を任されていた婿養子の藤田助七、籐を任されていた柳田伊助と弁天浜を任されていた鈴木岩治郎の3人に暖簾分けをし、恒七は隠居します。こうして本店はカネ辰・藤田商店、大阪に籐を取り扱うカネ辰・柳田商店、弁天浜はカネ辰・鈴木商店として再出発することになり、3軒のカネ辰が誕生しました。

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