松方幸次郎

松方・金子コンビで大正期の造船業界を牽引する一方、絵画収集で松方コレクションを残す

生年 慶応元(1866)年
没年 昭和25(1950)年  

金子直吉とは、ほぼ同時代を生きた神戸財界を代表する実業家。元老松方正義(第4代、6代内閣総理大臣)の三男。鹿児島に生れ。米エール大学卒業し、帰国後数年して川崎正蔵に請われて川崎造船所初代社長に就任。松方と金子はともに神戸を本拠として国家的事業を推進した実業家として共通点が多く、互いに意気投合するところあり、永く友人として親交、ビジネス面でも私的でも協力し合った。

川崎造船所が調達する鋼材を鈴木商店が供給するのはもちろん、川崎造船所が建造した船舶を鈴木が当時の英国政府へ大量に売却斡旋して、鈴木は大いに評価された。当時、ロンドン支店長として駐在していた高畑誠一に対し、金子直吉は、英国に長期滞在する松方幸次郎に支店の一室を提供させ、松方の商談の手助けを命じた程である。なお、松方のこのロンドン滞在中にイギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパで西洋絵画・彫刻、日本の浮世絵を買い集めたいわゆる「松方コレクション」についても金子は、松方に便宜を図り、収集資金の立替えも協力した。

第一世界大戦中、米国の鉄材輸出禁止令に抗議し、金子と松方は連携をとり川崎造船所、大阪鉄工所、三井物産、鈴木商店の四社が発起人となって造船、海運、商社をまとめ米鉄輸出解禁期成同盟会を結成、解禁運動を展開した。金子が主導した解禁運動は、やがて大正7(1918)年、船鉄交換契約として決着し川崎造船にとって大きなメリットをもたらす結果となった。

また、第一次大戦終了後の海運不況を打開すべく、金子と松方は8船主をまとめ、大正8(1919)年、国策会社「国際汽船」を設立したほか、「Kライン」を発足させるなど密接な関係を築いた。

松方は、金子と同様事業家として最後は大きな蹉跌を味わうことになった。

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