高畑誠一

イギリス・チャーチルに「皇帝を商人にしたような男」と恐れられた高畑誠一

生年 明治20(1887)年
没年 昭和53(1978)年

愛媛県喜多郡内子町出身。生家は内子町ではかなり古い家系で、高畑誠一で14代目になる。呉服、食料品、日用雑貨までなんでも扱う小売店をやっていた。旧制西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て神戸商業大学 (旧制)神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業。神戸高商在学中は三井物産入社を志望していたが、尊敬する水島銕也校長の推薦ということで明治42(1909)年3月鈴木商店に入社。明治45(1912)年、当時は世界の政治経済の中心であったロンドン支店勤務となる。

大正3(1914)年、第一次世界大戦が勃発すると、鈴木商店の番頭金子直吉の指示で投機的な買付を指揮する。また本国を介さない三国間貿易を日本人として初めて手がけ、鈴木商店のビジネス拡大に大きく貢献した。さらに大戦中には、連合国を相手に大活躍し、連合国向け食糧注文を受け、船もろとも売り渡す「一船売り」の離れ業をやってのけ、「高畑は、カイゼルを商売人にしたような人間だ」と評判になった。合成アンモニア製造特許を取得してクロード窒素工業(現・下関三井化学)の設立、ケニアのマガディソーダの販売権を獲得太陽曹達(現・太陽鉱工)の設立に繋げた。

昭和2(1927)年に鈴木商店の経営が破綻すると、昭和3(1928)年、高畑は永井幸太郎とともに、鈴木商店の子会社だった日本商業を日商と改め再出発を図り、「Small, slow but steady」(ちっぽけで、歩みも遅くとも堅実に行こう)を社是に同社を総合商社に育て上げる。

昭和20(1945)年には日商の代表取締役会長に就任した(~1963年)。昭和32(1957)年には日本火災海上保険(現・日本興亜損害保険)の社長に就任している。

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