昨年新たに発見されたもう一つの「天下三分の宣誓書」に関する筆跡鑑定の結果をご紹介します。

2019.4.8.

大正4(1915)年11月、金子直吉は自身の後継者と認める鈴木商店ロンドン支店の高畑誠一ら3名に宛てて鈴木商店の更なる大躍進を遂げていくにあたっての大号令とも言うべき気迫に満ちた、後に「天下三分の宣誓書」と称される金子直筆の(毛筆による)書簡を発しました。

現在この「天下三分の宣誓書」(以下「A」)は太陽鉱工により神戸市立博物館に寄託されていますが、昨年高畑誠一のご親族宅の遺品の中からほぼ同じ内容の書簡(以下「B」)が新たに発見され、このことは平成30(2018)年8月8日付神戸新聞(夕刊)にも大きく取り上げられました。

PIC_0080-thumb-480xauto-5088[1] (480x270).jpg※上の画像はAの書簡の一部です。この部分は、金子直吉が中国の「三国志演義」あるいは「三国志(正史)」を意識して記したことが想像できるハイライトともいうべきフレーズ『三井三菱を圧倒する()(しか)らざるも彼等と並んで天下を三分(さんぶん)する()(これ)鈴木商店全員の理想とする所也(ところなり)』が記されています。

tennka.PNG※上の画像はBの書簡の一部で、Aとほぼ同じ部分です。

P1070778 (800x601).jpgなお、Aは一行の文字数が8文字前後で長さは6メートル余り。一方、Bは一行の文字数が6文字前後で長さは11メートル余りとAの倍近くの長さがあります。

※左の写真は、神戸市立博物館にて学芸員の方立会いの下で、両書簡を比較している記念館の関係者です。(平成30年8月24日)

当初、当記念館は、Aは下書きでBはそれを基に清書したものではないかとも推測していましたが、その後金子直吉の数多くの書簡や俳句などの筆跡や筆勢などから判断すると両書簡の筆者は異なる人物であり、金子の直筆はAのようにも思えることから、最終的には両書簡の正式な筆跡鑑定が必要との結論に達し、昨年末に信頼の置ける鑑定会社を選定の上、筆跡鑑定を依頼しました。

※鑑定依頼に際し、当記念館からはA、Bそれぞれの文字が読み取れる画像とあわせて、金子直吉直筆(毛筆)による彼の右腕とも言われた長崎英造宛の相当数の書簡の画像および「金子直吉遺芳集」(昭和47年1月1日発行、編集人:柳田義一 [辰巳会本部]、200余りの金子の書簡の画像が収録されている)(以下「C」)を提供しました。

鑑定作業は同一字体文字(字種)について数文字以上を抽出し比較することにより、Aの筆跡、Bの筆跡、Cの筆跡が同一人物の筆跡であるか、という観点から進められ、この度次のとおり鑑定結果が示されました。

P1070799 (601x800).jpg鑑定会社による結論
◯Aの筆跡とBの筆跡とは、同一人物の筆跡でない可能性が高い。
◯Aの筆跡とCの筆跡とは、同一人物の筆跡である可能性が高い。
◯Bの筆跡とCの筆跡とは、同一人物の筆跡でない可能性が高い。

上記結論を受けての当記念館の見解
この結論を受けて、当記念館としましては次のとおり判断しました。

◯現在市立博物館に寄託されている書簡(A)は金子直吉の直筆である。
◯新たに発見された書簡(B)は金子直吉とは別の人物により書かれたものである。



※上の写真は、比較のため両書簡を並べたところです。(於:神戸市立博物館)

なお、依然として新たに発見された書簡は誰が何のために書いたのかという疑問が残りますが、この点につきましては、引き続き調査を進めて謎を解明していきたいと考えています。

「天下三分の宣誓書」の詳細については下記の関連リンクをご覧下さい。

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