三国志演義に見る隆中策「天下三分の計」

天下を三分することは、統一のための手段にすぎない。 諸葛亮

中国の3世紀末の史書「三国志」を題材に明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説「三国志演義」の中で、諸葛亮(字は孔明)が蜀の劉備に進言した、国土を三分割して曹操・孫権・劉備の三人で中国を支配する策を「天下三分の計という。

諸葛亮は劉備に対し、曹操への対抗策として天下三分の計を説いたもので、その内容は、劉備が荊州と益州を領有し、劉備、曹操、孫権とで中国を大きく三分割するという策略。

三国志演義では、正史「三国志」の扱う範囲を 120回に分けて展開し、第38回「三分を定め 隆中(*)にて策を決し 長江に戦い 孫氏あだを報ず」(隆中策)で、諸葛亮が劉備に次のように進言する。((*)三国時代の荊州の首都・襄陽の郊外の村。若き諸葛亮が住んだ土地)

「・・・・将軍(劉備のこと)は漢王朝の後裔であり、その信義は天下に鳴り響き、英雄たちを傘下に集められて、喉の乾いた者が水を欲しがるように賢者を捜し求めておられます。・・・」さらに続けて劉備に言った。

「これは西川せいせん54州(県)の地図です。将軍が覇業を完成しようとなさるならば、北方(魏)は曹操に天の時を占められ、南方(呉)は孫権に地の利を占められておりますから、将軍には人の和を占められるべきです。まず荊州を略取して根拠地とし、ひきつづいて西川を略取して基盤を固め、鼎の足(天下三分)の形勢を作ってから、中原を攻められるべきです。」(三国志演義 井波律子訳)

現代でも、国家や企業レベルにおいて三勢力が拮抗し均衡を保つ手法を、隆中策の故事に倣い「天下三分の計」と表現することがある。ただし諸葛亮の策は「均衡を保つ」ことが目的ではなく、あくまでも最終目的は「中国全土の統一」であり、天下を三分することは統一の為の手段にすぎないことは明らかである。

有名な金子直吉の「天下三分の宣誓書」は、諸葛亮の意図した天下統一のための「隆中策」を意識して、天下に覇を唱える大望を胸に秘めて書かれたものと想像される。天下三分の宣誓書は大正4(1915)年に書かれたとされ、翌々年大正6(1917)年には鈴木商店の売上高は、15億4,000万円に達して三井物産の10億9,500万円を大きく凌いで、日本一の商社に躍り出た。

この年、鈴木商店の躍進に危機感を抱いた三菱合資は、帝国興信所(現・帝国データバンク)に鈴木の調査を依頼している。三菱商事が三菱合資営業部より独立して誕生するのは、翌大正7(1918)年のこと。三菱商事が台頭して来るまで、鈴木商店、三井物産の二大商社の時代が続くのである。

                               

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