日本一の総合商社へ~天下三分の宣誓書

三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか・・・

第一次世界大戦による大戦景気を見越し、一斉買い出動を敢行した鈴木商店は、莫大な利益をあげた。

大正5(1916)年には、後藤新平と金子直吉を結びつけ、後藤勝造が経営するみかどホテルを買収し、鈴木商店本店とした。当時、コロニアル風の瀟洒なる建物は鈴木商店躍進の象徴となった。

大正6(1917)年の売上高は15億4,000万円に達し、三井物産の10億9,500万円を大きく凌いで文字通り日本一の大商社に躍り出た。さらに大正8~9(1919~1920)年の絶頂期の売上は16億円を超え、三井物産の12億円にさらに水をあけ、国内外の陣容においても三井に引けをとらない質・量ともに「総合商社の源流」と呼ぶに相応しい態勢が整った。

これに先立つ大正4(1915)年秋、金子直吉はロンドン支店長の高畑誠一、小林、小川実三郎の3人の駐在員宛に長文・墨痕あざやかな書状を送り、「・・・この戦乱(第一次世界大戦)を利用し大儲けをなし、三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか、これ鈴木商店全員の理想とするところなり。・・・」と大号令を発した。

この金子の檄文には、金子の経営戦略が溢れるばかりの気迫と自信に満ちた文章の中に記され、後に鈴木商店関係者の間で「天下三分の宣誓書」と呼ばれるようになった。

中国の明代に書かれた後漢末・三国時代を舞台とする時代小説「三国志演義」の中で、諸葛孔明が劉備玄徳に進言した「天下三分の計」を思い浮かべながら、金子が自分の後継者にと心に秘めている勝負師・高畑に並々ならぬ決意を披歴したもの。当時、金子52歳、高畑30歳であった。

この手紙は、永く高畑が家宝として手元に置いていたが、現在は鈴木商店系の太陽鉱工が保管するところとなり、神戸市立博物館に鈴木商店ゆかりの品とともに寄託されている。

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  • 高畑宛の封筒

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