鈴木商店こぼれ話シリーズ㉗「天下三分の宣誓書は、天下統一を秘めた三国志演義の「天下三分の計」に由来」をご紹介します。

2018.4.2.

220px-Three_Brothers.jpg中国の3世紀末の史書「三国志」を題材に明代に書かれた時代小説・通俗歴史小説「三国志演義」の中で、諸葛亮(字は孔明)が蜀の劉備に進言した、国土を三分割して曹操・孫権・劉備の三人で中国を支配する策を「天下三分の計」という。

諸葛亮は劉備に対し、曹操への対抗策として"天下三分の計"を説いたもので、その内容は劉備が荊州と益州を領有し、劉備、曹操、孫権とで中国を大きく三分割するという策略。(左の画像は、劉備を支える関羽と張飛)

現代でも、国家や企業レベルにおいて三勢力が拮抗し均衡を保つ手法を、隆中策の故事に倣い「天下三分の計」と表現することがある。ただし諸葛亮の策は「均衡を保つ」ことが目的ではなく、あくまでも最終目的は「中国全土の統一」であり、天下を三分することは統一のための手段にすぎないことは明らかである。

大正4(1915)年秋、金子直吉はロンドン支店長の高畑誠一、小林、小川(実三郎)の三人の駐在員宛てに長文・墨痕鮮やかな書状を送り、「・・・この戦乱(第一次世界大戦)を利用し大儲けをなし、三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか、これ鈴木商店全員の理想とするところなり。・・・」と大号令を発した。

時代小説「三国志演義」の中で、諸葛孔明が劉備玄徳に進言した「天下三分の計」を思い浮かべながら、金子が自分の後継者にと心に秘めている勝負師・高畑に並々ならぬ決意を披歴したもの。当時、金子52歳、高畑30歳であった。金子の本意は、三井、三菱との天下三分ではなく、当然天下一を目指そうとする決意であろう。

「三井、三菱と天下を三分しよう」という金子の溢れるばかりの気迫と自信に満ちた手紙を受け取った高畑誠一は、後に日経新聞の「私の履歴書」の中で「当時の鈴木の社員は、この金子さんの大号令に、まるで魔術でもかかったように勇気づけられて突撃した。」と述懐している。

なお、この「天下三分の宣誓書」には、日付が11月1日のみ記されていることから、近年まで大正6(1917)年とされてきた。この手紙を受け取った高畑自身も「私の履歴書(昭和47年)」で大正6年と記したほか、白石友治が「金子直吉伝(昭和25年)」の中で、また桂芳男が「総合商社の源流 鈴木商店(昭和52年)」で、作家城山三郎も「鼠」の中で、さらに柳田義一も「金子直吉遺芳集(昭和47年)」でいずれも大正6年としている。これは、「金子直吉伝」の日付を踏襲したものと推察される。

金子直吉よりこの手紙を高畑誠一に託された小川実三郎は、後年、昭和40(1965)年に辰巳会会報「たつみ」に寄稿し、大正4(1915)年この手紙を託されロンドンに赴任したと述べている。

鈴木商店研究家で兵庫県立芦屋高等学校教諭の齊藤尚文氏は、この手紙の執筆時期に疑問を持ち、鈴木商店の海運事業の研究から糸口を見出し、綿密な調査と裏付けにより大正4(1915)年であることを証明した。

また、この手紙の宛先には高畑君、小林君、小川君の三人の名が記されている。このうちの小林君なる人物について、永く不明のままであったが、この度、「小林金一」氏であることが判明した。この手紙を金子直吉から託された小川実三郎が赴任する前のロンドン支店駐在員の集合写真の中に小林氏が写っている。

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