「播磨造船所の歴史⑦」を掲載しました。

2020.3.26.

syouwa4nendokuritutouji.PNG「播磨造船所の歴史」を紹介するシリーズの7回目です。

昭和4(1929)年11月、神戸製鋼所は帝国汽船から引継いだ「播磨造船工場」(播磨造船所)が事業の性質を異にし、かつ規模が大きく同社の一部門として経営を続けるのは不適当であるとの理由から、同造船工場の分離・独立を断行しました。

その背景には、当時合理化を進めていた同社とって、不況に喘いでいた造船部門を切り離さざるを得ない実情がありました。これに伴い、神戸製鋼所から一切の業務を承継して(第二次)「播磨造船所」が新発足しました。

その後、新生播磨造船所は第一次世界大戦後の不況を乗り越え、わが国が昭和10年代に戦時体制へ突入し海軍管理工場の指定を受けると、国家の要請に応じて設備と増産体制の充実をはかり軍需産業の第一線で活躍することになります。

上の写真は、神戸製鋼所から独立し、(第二次)「株式会社播磨造船所」が新発足した昭和4(1929)年頃の播磨造船所です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>播磨造船所の歴史⑦

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