「播磨造船所の歴史⑥」を掲載しました。

2020.3.19.

taisyou10nenntouji.PNG「播磨造船所の歴史」を紹介するシリーズの6回目です。

第一次世界大戦終了後の反動不況を察知した鈴木商店は、経営が苦しくなっていた直営部門や関係会社について事業再編をはかることとし大正7(1918)年5月、播磨造船所と鳥羽造船所は鈴木商店が扱う貨物の輸送を担っていた帝国汽船(大正5年設立)に合併されました。


その後、反動不況が予想以上に深刻となったため大正10(1921)年2月、帝国汽船の「播磨造船工場」と「鳥羽造船工場」は鈴木商店傘下の神戸製鋼所に合併されました。

この時、神戸製鋼所の幹部から播磨造船所と鳥羽造船所を閉鎖する案が出され議論が繰り返されましたが、当時神戸製鋼所の常務取締役であった田宮嘉右衛門はひとり終始一貫して閉鎖に反対し、この閉鎖案を撤回させました。

上の写真は、神戸製鋼所に合併された大正10(1921)年頃の播磨造船所です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>播磨造船所の歴史⑥

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