帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑱「日本酒類醸造株式会社」(調査書P96~100)をご紹介します。
2025.6.27.
「鈴木商店調査書」をご紹介するシリーズの18回目です。
「日本酒類醸造」は、明治40(1907)年に北宇和郡八幡村(現・宇和島市)に地元有力者によって設立された「日本酒精」が前身です。
明治43(1910)年、日本酒精は技術者・大宮庫吉により、一世を風靡するわが国初の新式焼酎 "日の本焼酎" を売り出し、同時に社名を「日の本焼酎」に改称しました。日の本焼酎は、後に社名を「日本酒類醸造」に改称します。(左の画像は、日本酒類醸造宇和島工場の広告です)
その後、焼酎会社の乱立により経営不振に陥った日本酒類醸造は地元宇和島出身の山下亀三郎に救いを求め、山下の仲介により鈴木商店に買収を申し入れ大正6(1917)年、鈴木商店傘下の「大里酒精製造所」と合併し新生「日本酒類醸造」となりました。
これにより、新生・日本酒類醸造はわが国最大の焼酎製造会社となり、日本酒精時代からの "日の本焼酎" と大里酒精製造時代からの "ダイヤ焼酎" の2大ブランドを販売しました。(右の写真は、日本酒類醸造の焼酎甕で、"鈴木よね" の名前の"米"を象った「よね星」と「ダイヤ」の文字が確認できます)
日本酒類醸造は大正14(1925)年に同業3社と合併して「大日本酒類醸造」を設立し、昭和3(1928)年にはさらに同業5社と合併し昭和19(1944)年、「大日本発酵工業」に改称しました。
その後、大里の醸造工場は昭和35(1960)年7月に「協和発酵の門司工場」、平成14(2002)年に「アサヒ協和酒類製造の工場」、平成18(2006)年には「ニッカウヰスキー門司工場」と変遷を重ね、現在も歴史のある煉瓦造りの焼酎生産工場として稼働を続けています。
調査書の「会社の現況」には、次のように記されています。
「主に焼酎の醸造販売を行い、苦心努力の結果やや成績に見るべきものがある。次第に設備を完成し、絶へず新式機械等の研究を怠らず、鋭意発展を目指しつつあり、大里酒精工場とともに相当この分野に名声を博し、四国、九州、山陽、山陰その他内地各方面および満州・朝鮮地方に販売し、‥‥」