⑥大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー門司工場)

鈴木工業団地の利点を活かし、焼酎を輸出するために設立

旧大里製粉が建設した道路沿いの煉瓦造りの倉庫は、現在はニッカウヰスキー門司工場の所有となっている。また工場内入口には鈴木商店時代の境界杭がある。かつては煉瓦造りの煙突があった。

鈴木商店は、帝国麦酒と近い位置にあった保税仮倉庫の敷地に焼酎工場「大里酒精製造所」を大正3(1914)年に設置した。朝鮮、中国向けに輸出していたが焼酎醸造のための発酵原料(糖蜜、フスマ、ビール酵母)は、隣接する大日本製糖、大里製粉、帝国麦酒から容易に調達できたことが大きな利点であった。

大里酒精製造所は大正6(1917)年同業の「日本酒類醸造(元・日本酒精)」(宇和島)を吸収するも、社名を「日本酒類醸造」に改称。新生・日本酒類醸造は、大里、宇和島の両工場を擁する本邦最大の焼酎会社となった。さらには大正14(1925)年、同業6社と合併して「大日本酒類醸造」を設立、その後昭和になってからも数度合併を繰り返した。昭和35(1960)年7月合併による改称に伴って協和発酵の門司工場となり、北九州最大の焼酎製造工場として長く地域に親しまれた。平成14(2002)年、協和発酵はアサヒビールと合弁で「アサヒ協和酒類製造」を設立、アサヒビールグループの焼酎乙類の主力工場として運営された。平成18(2006)年にはグループ再編によってニッカウヰスキーの門司工場となり、同社最古の煉瓦造り工場として現在も稼働を続けている。

関連資料

  • 「鈴木商店」の境界杭
  • 旧大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー門司工場)
  • 煉瓦造りの煙突(解体済み)

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