帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑰「大正生命保険株式会社」(調査書P90~96)をご紹介します。

2025.6.17.

「鈴木商店調査書」をご紹介するシリーズの17回目です。

yanagisawayosimitu.png大正生命は鈴木商店の金子直吉、柳田富士松西川文蔵藤田助七、小松楠彌等が発起人となり大正2(1913)年4月5日に創立総会が開催され、役員は次の通り選任されました。

社長 伯爵・柳原義光(左の写真)、専務取締役 岡烈、取締役 金光傭夫(右下の写真)、植村俊平、藤田助七、荒井泰治、監査役 (二代目)鈴木岩治郎下坂藤太郎

設立当初に発売した保険は普通養老保険、利益配当付養老保険、終身配当付養老保険、確定配当付養老保険、終身保険の5種類でしたが、他社に比べて異彩を放っていたのが同社の定款第6条に規定されていた「同社は保険契約者より徴収した保険料の積立金をもって必ず帝国債権(国債)を買入れ、政府の国債政策に貢献する」ことでした。

kanemitutuneo.png大正6(1917)年5月、岡列が死去したため金光傭夫が後継専務となり、一層の積極方針に転じたことから同社の業容は順調に拡大していきました。

明治33(1900)年に鈴木商店が出資した日本教育生命保険(社長:伯爵・柳原義光、取締役:金光傭夫)は大正生命保険とともに鈴木商店の保険事業の中核を成していましたが、鈴木商店経営破綻後の昭和23(1948)年に解散し、大正生命保険に包括移転されました。

その後、大正生命保険は"平成" に入ると、経営破綻、保険契約の包括移転、合併等の紆余曲折を経て、現在はジブラルタル生命保険を親会社とする「プルデンシャル ジブラルタファイナンシャル生命保険」(略称:PGF生命)となっています。

taisyouseimeihokaehagakiura.pngなお、 調査書の「既往及現状」には、次のように記されています。

「元々、同社は株式組織と相互組織との長所を採用し、特に相互会社は基金の利子を配当し、なお剰余金がある時にはこれを保険契約者に配当するのであるが、同社はこれに反して株主配当を行い、その他は全て公債(国債)を購入して日本銀行に保管を託すということであり、これらの利益金の大部分は保険契約者のために5年毎に現金を配当し、(保険契約者は)毎期加入当時より配当当時まで支払った保険料の割合に応じて支配をなすという規定がある。」(左の画像は、当時の絵葉書の裏面です)

「とにかく、同社は鈴木一派によって組織し、岡氏以下重役もまた比較的真面目な人物であることにより会社も相当の信用を有し、‥‥」「利益については良好の方であり、‥‥その財政内容は比較的堅実な方であり‥‥」

ただ、次のように懸念も示しています。

「因みに、この会社は設立後日が浅いものの保険業界の中では成績は比較的良好であるが、遣り口(営業の方法)があまりに派手であり、募集上やや堅実を欠く傾向がある。‥‥今後相当努力しなければ、決して前途は楽観は許されないものと見られる。」

帝国興信所が作成した「鈴木商店調査書」シリーズ⑱「日本酒類醸造株式会社」(調査書P96~100)をご紹介します。

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