双日が歴史マンガ「総合商社 双日 未来を創造した先駆者たち」の第3巻「躍動」を発行しました。

2023.2.10.

manngada3kan.pngこの度、双日が歴史マンガ「総合商社 双日 未来を創造した先駆者たち」の第3巻「躍動」を発行しましたのでご紹介します。

第 3 巻では、大正 3(1914)年7月に第一次世界大戦が勃発したことを契機に、双日の源流 3 社(鈴木商店、岩井商店、日本綿花)が日本の産業界を牽引していく姿が描かれています。

大戦勃発によりヨーロッパからの世界への物資の供給が細り始めると、日本に大量の注文が入り、日本の産業革命が一気に加速しました。

大正7(1918)年まで続く世界大戦中、日本は貿易黒字国に転じ、また債務国から債権国に転じ、名実ともに先進国の仲間入りを果たしていきますが、前記の双日の源流 3 社は貿易・製造業の両面で大きな役割を果たしました。


manngadai3kan.png第一次世界大戦開戦3か月後の大正3(1914)年11月、大戦勃発を最大の好機と見た鈴木商店本店の金子直吉からロンドン支店の高畑誠一達に宛てた電報により「BUY ANY STEEL,ANY QUANTITY,AT ANY PRICE」(鉄と名のつくものは何でも金に糸目をつけず、いくらでも買いまくれ)という大号令が発せられました。(右のマンガの場面をご覧下さい)

また、大戦により世界的な船舶不足と船価高騰による海運業界未曾有の好況到来を予想していた金子直吉は、北港製糖等で活躍していた(つじ)(みなと)を台湾から内地に呼び戻し、造船事業への進出を計画するよう命じました。

大正5(1930)年4月、兵庫県相生(おお)町の有志から播磨造船を買収と拡張を懇請された鈴木商店は、辻の調査に基づき播磨造船を買収し播磨造船所を設立します。(下の写真は大正5年頃の播磨造船所です)

taiosyou5nenbaisyuusitakoro2.png続いて同年12月、鈴木商店は三重県鳥羽町の真珠王・御木本幸吉ら地元有志から地元造船所の危機打開を懇請されると、鳥羽造船所を買収し、辻は自ら工場主として経営の指揮を執りました。

明治後期、鈴木商店は精製した魚油(いわし油、にしん油)をイリス商会を通じてドイツに販売していましたが、その魚油をイリス商会以外に販売すると同商会が「目を丸くして怒る」ことを金子直吉が不振に思ったことに端を発した、硬化油の研究・工業化には久保田四郎を始めとする選りすぐりの技術者6名が集結しました。

suzukisyoutennhyougokoujyou.jpg大正3(1914)年末、彼らは兵庫県脇浜の神戸製鋼所内の中央研究所において、電解工場が2度にわたり大爆発を起こすなどの苦難を乗り越え、20馬力撹拌(かくはん)機を備えたオートクレーブ(耐圧気密の硬化釜)による硬化油パイロットプラントが完成します。(右の写真は鈴木商店製油所兵庫工場です)

翌大正4(1915)年6月、兵庫運河の河口に鈴木商店製油所兵庫工場が完成。翌大正5(1916)年4月に操業を開始し、魚油による硬化油生産が始まりましたが、初めて工業的に硬化油を開発し、その後油脂工業界に革新的変化をもたらしたという点において、これがわが国における硬化油工業の嚆矢こうしと言われています。

第3巻では岩井商店、日本綿花も大戦勃発を好機ととらえ、次々に業容を拡大していく様子がダイナミックに描かれています。

なお、4月には当記念館も「特別後援」として支援させて頂きます舞台「彼の男 十字路に身を置かんとす」の再演が東京と神戸で予定されており、いよいよ本日2月10日(金)からチケットの発売が始まりました。

金子直吉を中心とする鈴木商店の社員たちの奮闘を、このマンガとともに是非ご鑑賞下さい。

舞台の詳細については下記関連リンクの "お知らせ" をご覧下さい。

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