辰巳会・会報「たつみ」シリーズ⑦「第7号」をご紹介します。

2020.6.5.

たつみ第7号表紙.png たつみ第7号は、鈴木商店破綻から40年目の昭和4291日に"鈴木商店解散40周年記念号"として発行されました。

 

 同号では、"破綻"とは云わず"解散運命の哀しき日より40周年を迎えた"と述懐。辰己会では、鈴木商店ゆかりの神戸・祥龍寺に於いて全国大会を開き、200余名の参加者の下、物故者の慰霊法要が執り行われ、続いて中山手「相楽園」に会場を移し饗宴が催された。同会場では供養塔の建立が決まったことが披露されています

 

 記念号ということもあり米騒動にまつわる投稿が相次いで紹介されています。

◇「焼打ちの思い出」 酒井 温

 

 本店焼打ちに遭遇した筆者の生々しい体験が綴られ、須磨の鈴木家本邸が襲われたという情報から急ぎ見舞に駆け付けたことも記されています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

 

 ◇「岡山精米所時代と米騒動の想い出」 土居英成

 

 鈴木商店の米事業の中心的な役割を果たした岡山精米所での勤務当時、米の鑑定名人といわれた松下豊吉氏の功績や本店での米営業の帳簿類の管理方法から焼打ちの被害を防いだエピソードを語っています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)


 ◇「東川崎町から海岸通り10番地へ」 木畑龍治郎

 

 東川崎町時代に採用された筆者が本店焼打ちに遭遇し、焼失した本店跡地に2週間足らずで本店仮営業所を立上げ、神戸市民をアッと云わせたこと、この事務所は後年、鈴木本店が海岸通に移転した後も神戸郵便局が昭和終戦まで使用していたことなどを回想。大正10年初め、海岸通に竣工した新社屋では、鈴木の窮状を体験したことが記されています。(「東川崎町から海岸通り10番地へ」) 

◇「私と鈴木商店」 大屋晋三

 

 永く帝国人造絹糸(現・帝人)のトップの座に君臨し、同社を世界的な合繊メーカーに育て上げた大屋晋三が鈴木商店に寄せる熱い思いを述懐しています。大正7年に鈴木商店に入った大屋が、大正14年末にその分身会社の帝人に派遣されるまでの7年半、鈴木商店本店で過ごした期間は、自分の一生に決定的な影響を与えた。大屋の基本的なものの考え方や人格形成について、その後の生涯を支配するほどの影響を受けたのは、金子翁の卓越した指導によると記しています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

 

◇「彦島を尋ねて」高石 淳

 

 かつて"クロード式窒素工業"に在籍した筆者が40年振りに彦島の"東洋高圧工業・彦島工業所"(当時、現在の下関三井化学)を訪れ、現地の関係者の熱い歓迎を受けたことを綴っています。折しも辰巳会では、鈴木商店物故者の慰霊塔建立事業を進めており、同供養塔の台座の下敷き材に鈴木系各事業の発祥の地より一握りの砂を集めることになり、現・東洋高圧工業・彦島工業所にも記念の砂を貰い受けに訪れたもの。

 同工業所では、鈴木商店のアンモニア合成事業を継承したことを後世に伝えるために昨年(昭和41年)建立された記念碑「我国安母尼亜(アンモニア)合成工業発祥之地」を見学し、昔筆者が手掛けた変電所の建物や給水塔等が記念物としてそのまま残っていたことに感無量だったと記しています。

追憶の記」 藤内金次

 

 外国電信部に属していた筆者が、海岸通の新館に移転後、筆者がお家さんや金子直吉との心温まる思い出を綴っています。

 

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