①クロード式窒素工業(現・下関三井化学)

日本の重化学工業のさきがけ

産業革命に伴う人口の増加から、食糧に関する関心が高まり、人工的に肥料を作る研究が各地で行われるようになると、アミノ酸の原料となる窒素の固定に関する技術が注目されるようになり、各地で化学工場による肥料製造が行われるようになる。

鈴木商店ロンドン支店長の高畑誠一は、フランス人クロードが発明した空中窒素固定法に注目した。この技術は、「平時には肥料、戦時には爆薬原料」となり、しかも原料は空中の窒素という夢のような技術であり、高畑はロンドンの社交界でいち早く情報を入手。当時、鈴木商店本店に打診していたものの、鈴木は経営悪化により資金繰りが厳しく、半分を高畑がロンド支店で貯めておいた剰余金から支払うことにより、特許権を購入。こうして大正11(1922)年、彦島にアンモニア工場を設立した。

工場建設が完了した、翌大正14(1925)年には本格的な生産を開始したが、鈴木商店の倒産によって銀行による差し押さえを受けてしまう。経営陣は三井に支援を仰ぎ、工場は東洋高圧工業、後に下関三井化学へと引き継がれる形となり、現在も操業を続けている。

工場内には、「我国安母尼亜(アンモニア)合成工業発祥之地」と記された石碑、製造装置のモニュメントがあり、鈴木商店時代からの煉瓦造りの建物(変電所)が今でも残っている。

関連資料

  • 現在の下関三井化学
  • クロード式窒素工業彦島工場の航空写真~下関なつかしの写真集~
  • 「我国安母尼亜(アンモニア)合成工業発祥之地」と記された石碑(工場内)

TOP