10月11日(火)~来年1月31(日)の間、大阪企業家ミュージアムにて特別展示「明治・大正・昭和、激動の時代を駆け抜けた女性企業家 ~鈴木よねと広岡浅子~」が開催されています。

2016.12.8.

oosakakigyouka.JPG大阪企業家ミュージアムにて関西を代表する女性企業家として名を残した鈴木よねと広岡浅子の足跡をパネルと写真で紹介する特別展示を開催中です。

当記念館は鈴木よね、鈴木岩治郎、金子直吉、柳田富士松、高畑誠一、創業期の鈴木商店、天下三分の宣誓書、鈴木商店本店焼き打ち、祥龍寺の鈴木よねの胸像、柳田富士松・金子直吉頌徳碑、神戸市立女子商業学校他の写真の提供などで協力させて頂いています。

なお、主展示(常設展示)エリアには「企業家たちのチャレンジとイノベーション」と題し、大阪を舞台に活躍した企業家たちのチャレンジとイノベーションが、明治以降3つのブロックに分けて紹介されています。

鈴木よね及び鈴木商店に関心をお持ちの方は、一度大阪企業家ミュージアムを訪れてみませんか。

【特別展示 明治・大正・昭和、激動の時代を駆け抜けた女性企業家~鈴木よねと広岡浅子~ 概要】

日 時
平成28年10月11日(火)~平成29年1月31日(火)
午前10:00~午後5:00 水曜日のみ午後8:00まで(入館は閉館30分前まで)
休館日:日曜日、月曜日、祝休日、12月27日~1月4日

場 所
大阪企業家ミュージアム
大阪市中央区本町1-4-5 大阪産業創造館B1F
TEL 06-4964-7601

※地下鉄中央線・堺筋線「堺筋本町駅」①⑫出口からから徒歩5分

入場料
大人300円、中・高・大学生100円、小学生以下 無料、65歳以上・障がい者200円

展示趣旨
関西を代表する女性企業家として君臨した鈴木よねと広岡浅子。同時代を生き抜いた女性企業家でありながら、全くタイプの違う二人。二人の足跡を通して、企業の発展にさまざまな形で貢献した女性の姿を紹介する。

鈴木よねに関する展示
君臨すれども統治せず ―「お家さん」として鈴木商店を守り抜いた女性企業家―

P1050755.JPG〇パネル:鈴木よねの生涯
鈴木よねの波乱に満ちた生涯を解説しています。
明治27(1894)年に夫である鈴木商店の店主・鈴木岩治郎が急逝した後、実際の店の経営には鈴木の二大柱石と称された金子直吉と柳田富士松が携わりましたが、女主人となった鈴木よねは大所高所から二人を見守り、自らは事業の責任を負うことを決意します。

〇パネル:鈴木商店とは
大正期に日本一の年商を誇り明治から大正を駆け抜けた幻の総合商社、鈴木商店の概要と鈴木商店が育んだ社員たちのその後、鈴木商店の流れを汲む企業について解説されています。

〇パネル:鈴木よねを取り巻く人たち
よねの夫、洋糖引取商として鈴木商店の礎を築いた鈴木岩治郎、鈴木商店を日本一の総合商社に導いた大番頭・金子直吉、金子直吉と両輪で鈴木商店を支えた柳田富士松、カイゼル(皇帝)を商人にしたような男・高畑誠一について解説されています。

〇パネル:鈴木商店ゆかりの品の写真
・「辰」の暖簾
・法被
・鈴木よね手縫いの雑巾

〇「天下三分の宣誓書」の一部(レプリカ)
大正4(1915)年11月1日、金子直吉が鈴木商店ロンドン支店長の高畑誠一、小林、小川実三郎の3人に宛てた気迫に満ち(あふ)れた書状で、その内容から「天下三分の宣誓書」と呼ばれています。

〇パネル:女子教育と社会貢献
鈴木よねがわが国初の公立女子商業学校である神戸市立女子商業学校(現・神戸市立神港橘高等学校)の創設に貢献したこと、また六甲山麓にある臨済宗「祥龍寺」(灘区篠原北町3)の再建に尽力したことなどが解説されています。

〇パネル:次代を代表する女性企業家として紹介される鈴木よねと広岡浅子
・大正元(1912)年10月22日付東京朝日新聞の記事「女子の發展」が紹介されています。

「女子の發展」では、広岡浅子と鈴木よねについて「西に廣岡淺子、鈴木米子の事業界に雄飛して、男子の實業家と雁行し、若しくは之を凌駕せるあり」と記されています。
大正元年10月22日付東京朝日新聞「女子の發展」.png

※大正時代は女性の社会進出が本格的に進展する時代でしたが、まさにそのことが記された興味深い記事と言えるでしょう。

▪日本の女性史研究の草分け的存在、高群逸枝が執筆した「大日本女性人名辭書」(厚生閣)に、鈴木よねと広岡浅子が実業家として掲載されていることが紹介されています。

下記の参考資料、関連リンクもご覧下さい。

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