鈴木よね

金子直吉に鈴木商店の全てを任せた「お家さん」

生年 嘉永5(1852)年8月
没年 昭和13(1938)年5月  享年85歳。

姫路市米田町の塗師(仏壇の漆塗り)丹波屋西田仲右衛門の三女として生まれる。よねは、父仲右衛門の主家で同業の「塗師惣」こと福田惣平の次男に嫁いだが、まもなく離婚してしまう。よねの長兄二代目仲右衛門は、家業を継がず神戸に出て洋銀両替商として既に名を成すまでになっていた。この兄仲右衛門の縁でよね26歳の時、神戸の砂糖商鈴木岩治郎と再婚した。男児3人を儲けるが、次男米太郎は7歳で病死。

金子直吉が鈴木商店に入店したのは、よねが嫁いでから9年後の明治19(1886)年、直吉20歳、よね34歳の時であった。主人岩治郎は、気性激しく度々、直吉を叱責したばかりか仕事も貸し金の取立てばかりで単調であったため、金子は病気を口実に郷里土佐に舞い戻ってしまった。

よねは、直吉の商才を見抜いており、再三呼び戻しの手紙を送って直吉の再出発を促したことから、直吉の主家に対する永い信頼関係が始まる。先代岩治郎は、洋糖引取商として独立し神戸有力八大貿易商の一つに数えられるまでに発展したが、独立後20年ほどの明治27(1894)年、急逝してしまう。 

よねの兄西田仲右衛門、岩治郎の主家筋に当たるカネ辰藤田商店の店主・藤田助七はじめ親戚筋からは廃業を勧められるも自らが主人となって事業を継続する道を選び、金子直吉と柳田富士松の二人の番頭を全面的に信頼し、新たな船出に乗り出すことになった。

鈴木商店の経営には、一切口出しせず、金子に経営すべてを委ねた店主よねは、一方で臨済宗祥龍寺の再興に力を尽くすほか、神戸女子商業の設立を支援するなど地元神戸に少なからず貢献したことが知られている。作家玉岡かおるの「お家さん」には、よねの波乱に満ちた人生が描かれている。

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