太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑭

既存事業の競争力強化に加えて新製品・新事業を展開すべく、将来を見据えてチャレンジを続ける

太陽鉱工の主力事業はモリブデン、バナジウムなど希少金属(レアメタル)の各種製品の製造であるが、資源に恵まれない日本でこうした事業を展開するには克服しなければならない問題があった。

それは前記のとおりモリブデン、バナジウムなどの鉱石の調達および製品の販売が相場と為替に左右されること、さらに需要先である鉄鋼業界や石油化学業界の動向にも左右されること、また各種設備投資などが財務状態に大きな影響を与えることであった。そこで構想されたのが持てる資産の有効活用で、一つがスポーツ事業、今一つが太陽光発電事業であった。

昭和42(1967)年に探鉱を断念し採石事業に専念していた福岡鉱業所は次第に採石量が減少し、公共事業においても再生材(コンクリート・ガラ)が優先使用されるようになったこと等から収益が期待できない状態に陥りつつあった。

このため、跡地(3.4万坪)に土砂を入れて埋め戻して平地にし平成23(2011)年6月、ゴルフ練習場と公認18ホールのパークゴルフ場を併設する「博多金の隈ゴルフヒルズ」を開業した。この施設は当初から安定的な収益をあげ、同社経営の安定に貢献している。

また、かつて鈴木商店が取得し同社が受け継いだ神戸市・かる島の土地(15,400㎡)の有効活用をはかった。この土地は長年大型車両の駐車場として活用されていたが、2010年代より大型車両の契約台数が徐々に減少し始めた。

このため、太陽光発電に対する国の固定価格買取制度を利用すべく関西電力と売電契約を締結し、平成27(2015)年2月から苅藻島の敷地の3分の2に当たる約10,450㎡に発電容量1MW(メガワット)のソーラーパネルを設置し、太陽光発電事業を事業登記して「苅藻発電所」の操業を開始した。この事業も開業直後から順調に推移している。

平成28(2016)年12月19日、太陽鉱工の名誉会長であった鈴木治雄が帰らぬ人となった。(享年98歳)
鈴木岩蔵(鈴木商店の創業者・鈴木岩治郎と妻・よねの三男)の長男でもある治雄は、昭和45(1970)年11月に同社社長就任以来21年間にわたり同社の経営を担ってきた。

その間、第二次オイルショック後の深刻な不況に伴う同社の業績悪化に際し、陣頭に立って人員整理をはじめとする経営合理化対策を断行した。また、限られた資源の再利用をはかることが同社に課せられた使命であると受け止め、石油精製工場の使用済触媒からモリブデン、バナジウムを回収する再資源化事業に取り組み、10年におよぶ苦闘の末に再資源化工場の完成を成し遂げ、同事業を本格的にスタートさせた。

あわせて、太陽鉱工グループ(東邦金属日本精化ニチリン鈴木薄荷、太陽ビルディング、太陽林産、泰和たいわ)の発展にも尽力するとともに日商(後・日商岩井、現・双日)の監査役などを歴任。一方で、鈴木商店のOBにより組織された「辰巳会」の会長を長きにわたり務め、平成26(2014)年4月に発足したインターネット上の博物館「鈴木商店記念館」の代表も務めた。

平成30(2018)年6月25日、同社は経営陣の若返りをはかるため治雄の長男・鈴木一誠かずのぶが会長に就任、一誠の長男で副社長の鈴木一史かずふみが社長に就任した。

令和元(2019)年、同社は設立から70年、源流とする太陽曹達の創業から100年の節目の年を迎えた。同社は鈴木商店の企業家精神を受け継ぎつつ、10年、20年先を見据えて経営理念「太陽鉱工は、独創的な自主技術開発を基に顧客の要望に応える製品供給を使命とし、環境との調和と安全の確保を責務として、豊かな社会の実現に努める」の下、モリブデン・バナジウム・ジルコニウム等の希少金属(レアメタル)、希土類(レアアース)、セラミック原料をはじめとするマテリアルの有数企業として、安全・快適・豊かな社会の実現に向けて果敢にチャレンジを続けている。

  • 太陽鉱工のロゴ・マーク

    “鈴木よね” に由来する「米星」を図案化したもの

  • 博多金の隈ゴルフヒルズ
  • 苅藻発電所

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