網干

世界初のプラスチック、セルロイドを網干で製造

ダイセル網干工場内には、セルロイド製造試験機のモニュメントがあり、そこには「我が国のセルロイド、ひいては化学工業の本格的工業化時代のさきがけをなすものであり、当地は、当社並びに日本のものづくりの原点ともいえる場所である」と記されている。日本の産業革命は、新たな物質を生み出す化学産業の発展によって推進された点に大きな特徴があり、その意味で、鈴木商店が関与したセルロイド事業の意義は非常に大きい。

セルロイドは、1868年に米国で開発された世界初の汎用樹脂である。クスノキから生産される樟脳を原料とし、その産地は極東、特に台湾に集中。鈴木商店は、明治33(1900)年に台湾産樟脳の販売権を得て神戸に樟脳工場を設立、日本の有力な輸出品に育てあげた。

そして鈴木商店は明治41(1908)年、岩井商店(後の双日)、三菱と共に兵庫県揖保郡網干町(現・姫路市網干区)にセルロイドの国産化をめざして日本セルロイド人造絹糸を設立した――これが現・ダイセルの出発点のひとつと位置づけられる。

塩田と漁村しかなかった網干の地が選ばれたのは揖保川の水質がセルロイドの生産に適していたためである。本柳寺前の空き家を創立事務所として看板を掲げ、地主との交渉を重ねたのは明治39(1906)年のことだった。

創立時には困難が伴い、第一次世界大戦が勃発すると一時爆薬の工場にも転じた。その後、大正8(1919)年に8社が合併して大日本セルロイドが誕生。昭和11(1936)年には全世界生産量の40%を日本が占め、輸出の7割は網干工場から出荷された。また同社からは昭和9(1934)年に現在の富士フイルムが誕生している。

創業当時の面影は、ダイセル網干工場のあちこちに今でも残る。「ダイセル異人館」は、元々は外国人技師を招きその住居として建築されたもので、現在は資料館として一般公開されている。また工場内には煉瓦造りの建物もいくつか現存しているが、特に石炭ボイラーの煙突は当時のシンボル的な存在だった。

わが街――鈴木商店とその時代

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