「大日本塩業(現・日塩)の歩み⑨」を掲載しました。

2022.2.23.

「大日本塩業」(現・日塩)の歴史を紹介する9回目です。

tidorisouk.PNG昭和28(1953)年以降、国内塩の分野においては「入浜式塩田」から "塩業革命" と呼ばれるほど画期的な「流下式塩田」への転換が進み、昭和33年度には大半の塩田が流下式になりました。

これにより、国内塩の生産は飛躍的に増加し食料用塩の全量を自給できる見通しとなりましたが、一方でこのことが国内塩の在庫累増を招く結果ともなりました。

昭和31(1956)年5月、国内塩の在庫累増を憂慮した専売公社は、輸入塩から国内塩へ転換(輸入塩の需要を国内塩に転換)する方針を発表しました。


具体的には、それまでの家庭用には国内塩を使用し、味噌、醤油、漬物、水産などの業務用には輸入塩を使用するといった消費形態を改め、業務用塩の消費を輸入塩から国内塩に転換する施策が進められました。

しかし、この転換施策は、当時売上の大半が輸入塩であった日塩にとってはまさに青天の霹靂、会社存亡にかかわる問題であり、在外資産のすべてを失い、苦しい出発となった同社が社員一同の懸命の努力によってようやく一息ついたところで直面した一大事でした。

この施策実行による輸入塩の減少により、同社は倉庫保管、荷役作業、加工包装、運送、輸入業務にわたる全部門において売り上げの激減を来し、昭和33年度は日塩創立以来、初の赤字決算となりました。

同社はこの危機的な事態を克服すべく、「国内塩の増産計画によって輸入塩の取扱高が減少するのは必然である」との認識に立ち、必至の生き残り策を模索していきました。

冒頭の写真は、昭和45年頃の名古屋出張所千鳥倉庫の全景です。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

企業特集>塩業>大日本塩業(現・日塩)の歩み⑨

関連リンク

TOP