「日本工具製作(現・日工)の歴史⑦」を掲載しました。

2021.4.9.

「日本工具製作」(現・日工)の歴史を紹介する7回目です。

battyaapuranto3.PNG昭和25(1950)年上期には、いわゆる "見返り資金" (*)による電源工事を契機として工具類の需要が急増し、さらに同年6月には朝鮮戦争が勃発し、業界は一気に活気を帯びました。

(*)第二次世界大戦後、アメリカの対日援助物資のドル価額に見合う円資金を特別に積み立て、通貨の安定と経済再建を主な目的として運用した財政資金。

日本工具製作は昭和26(1951)年12月より横転式運搬車、ウインチ、コンクリートミキサなどの建設機械の製造に着手し、昭和27(1952)年6月には北海道網走から同社にとって初の建設機械の受注となる「鍋トロ」(ダンプトロッコ)の注文がありました。昭和31(1956)年にはバッチャープラント(コンクリートプラント)とスミス式傾胴ミキサを完成しました。

この頃から、同社の建設機械はその真価が次第に認められるようになり注文が増加し、既存の設備では不十分になってきたことから昭和32(1957)年5月、第三工場敷地内に建設機械工場を新設しました。昭和33(1958)年3月、同社は資本金を2億円に増資し、この増資を契機として従来の工具類から建設機械の製造へと大きく舵を切っていきました。

昭和29(1954)年度からは「第一次道路整備5箇年計画」がスタートし、日本道路公団が設立されるなど、一連の動きからその後の道路がアスファルト舗装主体に建設されることが明らかになったことから、同社は社運を()してアスファルトプラントの製造に着手し、昭和34(1959)年3月に1号機が完成しました。

上の写真は、昭和40年代のバッチャープラントです。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

企業特集>鈴木商店と関係の深い会社>日本工具製作>日本工具製作(現・日工)の歴史⑦

関連リンク

TOP