「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史⑥」を掲載しました。

2020.9.5.

鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を紹介する6回目です。

uminonozokutobakoujyou.jpg昭和2(1927)年8月、生産品目をポットモータ、蓄電池式運搬車、エアブレーキ用電動機の3つに絞ることにより、かろうじて事業の存続が決定した鳥羽の神戸製鋼所電機製作工場は装いを改め、神戸製鋼所「電機部電機製作工場」として再出発しました。

この時、工場長には小田嶋(おだじま)(しゅう)(ぞう)が就任しましたが工場の規模は縮小され、建屋の面積は奇しくも創業(大正6年5月1日)当時と同じ100坪余り、従業員は250人となりました。

昭和初期の日本経済は昭和金融恐慌(昭和2年)、アメリカ発の世界恐慌(昭和4年)など相次ぐ恐慌に見舞われ、鳥羽の電機製作工場も深刻な不況から逃れることはできず苦境が続きました。

再出発後の鳥羽の電機製作工場は、主として船舶、紡績、製鉄、ポンプなどの各種電動機の製作が中心となりましたが、そんな中でも技術開発に励み、積極的に新製品を送り出していきました。

昭和8(1933)年の半ばになると人造絹糸の輸出が急増し、わが国の人絹工業は驚異的な発展期を迎えます。鳥羽の電機製作工場は昭和10年代に毎分1万2,000回転という世界水準をはるかに凌ぐ高性能のポットモータを完成し、輸入品を駆逐して国内人絹工場のポットモータの需要の90%独占しました。さらに、航空機用電装品、電気バスを始めとする斬新な新製品の開発を行いながら一時の不振を払拭し、業績は急上昇していきました。

上の写真は、海に臨む鳥羽工場です。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史⑥

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