鈴木商店こぼれ話シリーズ⑰「ゴルフクラブのヘッドカバー、手袋を考案した高畑誠一はシングルプレーヤー」をご紹介します。

2017.11.5.

!cid_8D465714-AFE9-458C-B6FA-35CE2C399F74ゴルフルール百科全書.jpg高畑誠一は、鈴木商店ロンドン支店勤務時代の大正元(1912)年頃から、健康のために横浜正金銀行ロンドン支店支配人の巽孝之丞の勧めもあり、ゴルフを始めた。当時ロンドンには200前後のコースがあり、遠くはスコットランドの世界最古のゴルフコース・セントアンドリュースにまで足を運んだ。土日ごとにプレーをし、体が丈夫になるとともにハンディ6の腕前になった。

ロンドン時代、高畑は職人に特注したクラブの見事な出来栄えに感動し、どうしてもクラブヘッドを傷つけたくないという思いから、お古の靴下をヘッドにかぶせてみたところ、高畑とプレーをともにした地元の人達は日本人の物を大切にする心に感心した。その後、知人の妹さんに黄色い毛糸でヘッドカバーを編んで貰い、それをつけてコースに通ったところ、ゴルフ仲間の間でたちまち評判になったと云う。

1920年代になると、イギリスとアメリカではいろいろな材料でヘッドカバーが作られ、ゴルフクラブにかぶせるゴルファーの姿が目立つようになったようだ。このことで高畑は世界で初めてゴルフのヘッドカバーを考案した人物として知られるようになった。

また、高畑はゴルフ専用の手袋を考案したことでも知られるとゴルフコースの設計家であり、ゴルフ評論家でもある故・金田武明氏(スポーツイラストレーテド誌アジア代表)が紹介している。それまでも、普段の手袋をゴルフに使う人はいたようだが、高畑は高級な羊皮とジャージーの生地で作ったゴルフ専用の手袋を考案したと云う。

高畑は帰国後、日本アマチュア選手権に12回出場し、昭和6(1931)年に2位となり、関西アマでは2回優勝している。また、廣野ゴルフ倶楽部(兵庫県)、鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫県)、愛媛ゴルフ倶楽部(愛媛県)などのゴルフ場の設立発起人や監修の他、日本ゴルフアソシェーション(JGA;現・日本ゴルフ協会)の理事を16年間に亘って務めたほか、関西ゴルフ連盟を設立するなど日本ゴルフ界に多大な貢献している。

また、高畑は日本で初めてのルールブックを作成したことでも知られている。日本ゴルフ協会(JGA)では、昭和10(1935)年邦文の「ゴルフ競技規則」を制定したが、大谷光明(JGA初代コミッティー)、高畑誠一(JGA理事)、末広厳太郎の3名による邦文化委員会により"Rules of Golf"を翻訳して作成されたもの。

それより前年の昭和9(1934)年、高畑は"New St. Andrews Rules of Golf"を翻訳しており、これがJGA制定の競技規則の基になっていることから、我国初の邦訳ゴルフルールブックと云われる所以でもある。なお、大谷光明も昭和8(1933)年、スコットランドのR&Aの規則の注釈を発表しているが、専門用語の単語に至るまで、殆んどを日本語化しており、これに異を唱える高畑とは論争を繰りひろげた。

後年(昭和33年)、高畑はオールスポーツ社(サンデーゴルフ)より「ゴルフ ルール百科全書」を著し、ゴルフルールの解説とゴルフにまつわる話をまとめている。"ゴルフヘッドカバー"についても自身の考案によるものとさり気なく記述している。


関連資料

関連リンク

TOP