鈴木商店こぼれ話シリーズ⑱「坂本龍馬の生家を母親のために買い取った金子直吉」をご紹介します。

2017.11.12.

P2300048-1龍馬生家.jpg幕末の志士・坂本龍馬は、天保6(1835)年11月15日、高知城下本丁筋1丁目(現在の高知支上町1丁目)に土佐藩郷士(下級武士)の二男に生まれた。坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商「才谷屋」の分家で、第六代直益の長男・直海が藩から郷士御用人に召し出されて坂本家を興した。

土佐藩の武士階級には上士と下士があり、商家出身の坂本家は下士(郷士)だったが、分家の際に才谷屋から多額の財産を分与されており、非常に裕福な家庭だった。(右の写真は、龍馬の本家筋「才谷屋」)

龍馬は、慶応3(1867)年11月15日の奇しくも自らの誕生日に、京都近江屋で凶刃に倒れるまでのわずか31年の生涯にあって、類まれなる行動力により薩長同盟の締結や大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与える数々の功績を残した。

龍馬の死後、本家の才谷屋は没落。坂本家は残ったが、家督を継いだ龍馬の兄・権平の養子・直寛の時代、北海道の開拓をすべく、明治31、2年頃にかけ一家をあげて札幌に移住した。高知の家はその後、売却されることになった。

坂本龍馬を敬愛していた金子直吉は、龍馬の生家が売りに出されたことを知り、何とかして残したいという思いから母・タミのために買い取って、母や弟の楠馬に住まわせたという。庭に離れを造り、その離れには、母のために当時手製の水洗便所や檜風呂を作ったと云われる親孝行ぶりであった。この龍馬の生家は、戦災により焼失し、その後跡地に楠馬の長男の親族が「金子陶器店」(現在は廃業)、「ジュエリー店」を、別の親族が院長を務める「上町病院」が建っている。なお、坂本邸は広大な敷地を有しており、その裏門側跡地には「ホテル南水」が建っている。

現在、金子陶器店跡と上町病院の間には、「龍馬生誕地」の碑が建てられているが、この碑は昭和43(1968)年、「明治百年記念行事」の一環として整備されたもので、碑の文字は昭和27(1952)年、高知出身の当時の首相・吉田茂が揮毫したもの。

坂本の本家「才谷屋」について土佐の俗謡が残されている。

「浅井金持ち、川崎地持ち、上の才谷屋道具持ち、下の才谷屋娘持ち」 (上の才谷屋と云うのが、龍馬の本家)と云うのがある位で、最盛期には土佐で三本の指(他には豪商の播磨屋、富商の櫃屋)に入る位の豪商だったと伝えられている。

 



  

 

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