鈴木商店こぼれ話シリーズ④「鈴木商店の情報収集の異常な速さが話題になった三井物産支店長会議」をご紹介します。

2017.4.29.

3000009248三井物産支店長会議議事録(大正10年) - コピー.jpg明治35(1902)年の三井物産合名会社時代から昭和6(1931)年の旧三井物産株式会社時代までの30年間に開かれた支店長会議のうち、17回分の議事録が三井文庫に残されている。

支店長会議は、海外支店を含む各支店長(出張員も含む)を東京に召集して10日以上にわたって開催された。会議には本店本部の重役、担当者も出席し、主要商品、業務遂行方法、管理運営等に関して担当部課、関連支店からの報告と出席者による質疑応答がなされ、議事録として詳細が記録されている。議事録は200数十ページから700ページを超えるボリュームで構成されている。

三井物産の経営方針、各商品、各支店の現状、課題、組織運営の問題点や改善策を具体的に知ることができる貴重な資料でもある。

同支店長会議では、各業界の動向のほか同業他社の動きについても活発な意見が交わされていた。中でも最大のライバルに急成長した鈴木商店に対しては、脅威を覚え想像以上に意識していたことが議事録から読み取れる。大正10(1921)年の第8回支店長会議議事録は、720ページを超える最大の分量で、鈴木商店を議題としての質疑応答が10ページにわたって記録されている。

鈴木商店の情報の速さに関連し、「重要市場所在地に特務機関設置の可否」および「鈴木商店のインフォーメーション迅速の事」の議題で討議されている。

「特務機関設置の可否」については、重要市場所在の支店に遊軍として新商売の開拓、その他社務発展に関する調査、研究報告等の必要性から「特務機関」設置の可否が提起された。これは近年、鈴木の海外店の「インフォーメーション」が殊の外早く、ロンドンにおいては最も「インフォーメーション」早い。当社(三井)は鈴木に後れをとること少なからずあり、感服すると同時に驚くことがある。鈴木は、欧州人を使用しているためではないか、これに対抗する「特務機関」の必要性を提案しているもの。

「鈴木商店のインフォーメーション迅速の事」では、砂糖、小麦、黒鉛、石炭等の例を挙げて悉く鈴木の情報の早さを報告している。

◇朝鮮の黒鉛に関し、ロンドン支店に取扱いを要請したが、山下黒鉛以外は売捌くのが難しいとの回答であった。たまたま神戸の鈴木に来た書状を或る筋より入手したところ、その報告は実に詳細を極めており、これによると山下の黒鉛より当社(三井)の物の方が売捌き易い旨が記載あり、山下の物でなければならないと云う固定観念ではなく、新規の銘柄について研究している模様であったと報告している。

◇さらに爪哇(ジャワ)方面に於ける鈴木のインフォーメーションが早いのは何故かという疑問について、鈴木のジャワ店の駐在員は、皆新規の者でオランダ語に精通しておらず、西洋人を雇用している様子も無い。然し砂糖については、年に2回位は社員が巡回して来る。これらの者は、砂糖のことに精通し、本部の方針により動いているようだ。砂糖の時期には20人余の社員が一時的に増員され、その時期が終わると6,7人に減員する。さらに常に欧米、インドを経由してジャワ方面に来る者4人程あり、その他常に相当な人員が絶えず巡回して来る。これは、ジャワのみならず各方面に絶えず社員を巡回させているが、この方針は当社と異なると。

◇神戸支店の代表者が云うには、自分は週に3,4回鈴木の金子氏と昼食を共にし会談しているが、鈴木は各方面にわたって「インフォーメーション」が多いこと、然も当社には全く「インフォーメーション」無い状態で、しばらくして鈴木より後になって初めてこれを知る有様であった。これは船舶関係に限らず、どの商売に於いても当社は鈴木に後れをとっていると痛感している。"・・・とにかく鈴木の「インフォーメーション」の早き点については、我々は大いに注目の値あるべし。"と結んでいる。

この時期、鈴木商店には、山地孝二という語学堪能な特命社員が活躍した。大正3(1914)年、第一次世界大戦が勃発すると鈴木商店も世界各地から情報収集する必要から、海外の駐在員事務所でカバーできない地域について急きょ移動出張員の派遣を決定した。移民日本人が多く住む中南米の情報収集もあり、英語、スペイン語堪能な山地の派遣が決まった。

1917年から1921年の約4年間にわたる長期出張中には、世界各地を巡回しており、インドネシアジャワ島スメンコウ製糖工場視察風景のほか、鈴木商店シンガポール支店,南米各地の港湾荷役風景など各地での情報収集活動の模様が写真により記録されている。

このように鈴木商店では、特命移動出張員などの三井の云う「特務機関」の存在、商品毎に専門家を重点的に配置したこと、陸海軍に強い人脈を有していたこと、有力ブローカー等には、日参して情報収集する積極姿勢(ロンドン砂糖ブローカー「ザーニコー社」に鈴木社員が詰めきりでいたことが報告されている。)など地道な積み重ねが情報収集力となって表れたものと考えられる。

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