明治の二大女性実業家、鈴木よねと広岡浅子を掲載しました。

2016.1.6.

hirookaasakotosuzukiyone.PNG現在、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」が放映されています。このドラマは、大同生命保険や日本女子大学の創設に大きく貢献した広岡浅子(写真左)の一生を描いたものですが、当時同じ関西には浅子と並び称された女性実業家、鈴木商店の"お家さん"こと鈴木よね(写真右)がいました。

大正元(1912)年10月22日付東京朝日新聞の記事「女子の發展」には広岡浅子と鈴木よねについて「西に廣岡淺子、鈴木米子の事業界に雄飛して、男子の實業家と雁行し、若しくは之を凌駕せるあり」と記されています。

jyosinohattenn2.PNG「明治維新の以前、封建時代に在ては女子は多く家庭の人にして、一種の奴隷とも謂うべく、男子の玩弄物とも稱せらるべき情態なりき。七去三從の教えに從い、女は三界に家無しと壓抑されたりしが、維新の改革に依って、階級は打破され、四民平等の新天地が開拓せらるヽと同時に、女子も亦多年の壓抑より開放せられ、爾來年を逐ふて社會に出で來れり。女子教育の進歩は彼等を導きて、男子と同等の地位に立たしめんとし、彼らは種々の方面に於て、其の頭角を現すに至れり。(中略) 近年に至りては啻に教育界、音楽界、文學界に於て、卓越せる天才を發揮せるのみならず、東に尾張屋銀行の峰島喜代子あり、西に廣岡淺子、鈴木米子の事業界に雄飛して、男子の實業家と雁行し、若しくは之を凌駕せるあり。(後略)」
※大正時代は女性の社会進出が本格的に進展する時代でしたが、まさにそのことが記された興味深い記事と言えるでしょう。

明治27(1894)年に夫である鈴木商店の店主・鈴木岩治郎が急逝した後、実際の店の経営には鈴木の二大柱石と称された金子直吉と柳田富士松が携わりましたが、女主人となった鈴木よねは大所高所から二人を見守り、自らは事業の責任を負うことを決意します。また、広岡浅子と同様「女子教育の必要性」を強く感じていた"よね"の援助(寄付)により、大正6(1917)年にわが国初の公立女子商業学校となる「神戸市立女子商業学校」(現・神戸市立神港高校)が創設されました。

なお、前述のテレビ小説に関連した出版物が複数発行されていますが、当記念館にも資料提供の依頼が多く寄せられました。次の書籍には、鈴木よね、鈴木商店についても当記念館から提供された写真とともに詳しく紹介されています。

〇『広岡浅子の生涯 幕末から明治を"九転十起"の信念で生きた女性実業家』別冊宝島(宝島社)
〇『幕末・明治を生きた女性たち』(洋泉社MOOK)
〇『広岡浅子 徹底ガイド おてんば娘の「九転び十起き」の生涯』(主婦と生活社)
〇『「九転十起」広岡浅子の生涯 "あさ"が100倍楽しくなる』(潮出版社)

例えば『広岡浅子 徹底ガイド』(主婦と生活者)では、鈴木よねについて「大正時代に日本一の商社として名をはせた鈴木商店の社長。一方で、神戸女子商業の設立を支援するなど地元神戸の発展にも貢献した」ことなどが鈴木よねおよび鈴木商店本店(旧・みかどホテル)の写真とともに紹介されています。

上記の出版物の他、鈴木商店ゆかりの総合商社・双日株式会社のオフィシャルサイトにも、ともに当時の女性経営者で、女子教育の発展にも尽力した鈴木よねと広岡浅子の二人が紹介されています。ご興味のある方は、同社オフィシャルサイト中「広岡浅子・広岡信五郎の物語」のページをご覧下さい。(冒頭の二人の写真は双日(株)のオフィシャルサイトより)

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