羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑥「羽幌炭砿スキー部」をご紹介します。

2018.1.21.

tikutanjyannpudai.jpg

今回は日本中に「羽幌飛行隊」の名を馳せた「羽幌炭砿スキー部」をご紹介します。

昭和32(1957)年は羽幌炭砿にとって生産の面だけでなく、スポーツの面でも「大飛躍」に向けて大きく一歩を踏み出した年でした。冬季スポーツの華・純飛躍(ジャンプ)でインカレ優勝の笠谷昌生(あきお)(札幌オリンピック70m級ジャンプ金メダリスト・笠谷幸生(ゆきお)の実兄)をはじめインターハイの上位入賞者も次々に入社し、後に「羽幌飛行隊」として、テレビや新聞を通じて日本中にその名を馳せる基礎が確立します。

スキー部はジャンプだけでなく複合、滑降、回転、距離にも選手の輪が広がり、選手層も厚みが増し、昭和39(1964)年開催のインスブルック冬季オリンピックの出場候補選手および強化選手に羽幌炭砿スキー部から6名が選出され、昭和37(1962)年、38(1963)年には築別炭砿の築炭シャンツェ・ゲレンデで同オリンピックを目指す強化合が行われなどその活躍には目を見張るものがありました。


写真は、築炭シャンツェでのスキー純飛躍(ジャンプ)の様子です。

詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。

鈴木商店の歴史>金子直吉のお家再興に向けて>羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑥「羽幌炭砿スキー部」

関連リンク

TOP