金子直吉のお家再興に向けて

旺盛な事業意欲は衰えず

鈴木商店は「倒産」により法的整理手続きが開始されたが、決して「破産」することはなかった。日本商業に営業を移し、日商(株)に改組して再建を図る。鈴木は全ての債権者と示談を進めたことから、破産宣告を受けることなく一切の債務を弁済したのち、破綻から6年後の昭和8(1933)年解散した。

金子直吉の事業意欲はいささかも衰えず、鈴木の名を残した鈴木商店そのものの再出発を考えていたが、台湾銀行などの大口債権者の同意を得られなかったばかりか、金子のカムバックも反対された。新生・日商の出発にも、鈴木家・金子ともに加わることは許されず、金子は鈴木の整理を進める一方、太陽曹達を持株会社として主家の再興を夢見て再び事業経営に乗り出した。

鈴木商店が破綻した年である昭和2(1927)年7月、鈴木商店の薄荷事業を引き継ぐ鈴木薄荷が設立された。鈴木の名を冠した唯一の企業であり、太陽曹達の後身・太陽鉱工グループの一員となる。

昭和14(1939)年、太陽曹達は太陽産業に改組し、モリブデンを始めとする鉱山開発を進めるとともに旧鈴木商店系企業の株式を買戻し、30社ほどの企業グループを形成した。

第二次世界大戦勃発まで、金子はかつてのごとく多様な事業を実現すべく国内外において以下のような活動を展開した。                                     
○日沙商会を通じてサラワク国王の来日を実現させ、ラジャン川流域
 調査、沖縄農民の移民等を協議する(昭和4年)
○日沙商会によるサラワク発電事業調査(昭和6年)
○マレー半島のボーキサイト調査(昭和8年)
○西オーストラリアの鉄鉱石調査(昭和11年)
○空冷式自動車装置、消音装置の特許を日本、欧米5か国に出願(昭和
 12年)
○ジャワの砂鉄調査、大陸(満州)運河計画(昭和15年)
○太陽曹達による羽幌炭鉱開坑(昭和15年)

金子は、これ以外にも樺太のツンドラ保温板等有用化事業、ボルネオでのセメント、アルミナ事業、羽幌炭の石炭液化事業など尽きることなく新規事業を計画したが、戦況厳しさを増し、統制経済等から羽幌炭鉱以外はいずれも実現することなく、その行く末を見届けることはかなわなかった。

関連リンク

  • 太陽産業執務室での金子直吉
  • モリブデン鉱石
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