羽幌炭砿にまつわる話シリーズ④「大手炭鉱も目を見張る羽幌炭砿の急成長」をご紹介します。

2018.1.7.

syukkoihuukei.jpg今回は大手炭鉱が一目も二目も置いた羽幌炭砿の急成長ぶりをご紹介します。

羽幌炭砿は昭和25(1950)年の長期ストの終結を機に労使協調路線を堅持し徹底した合理化を進めた結果、1人当たりの年間出炭量は目に見えて増加し、終戦当時はわずか7トンであったのが、昭和26(1951)年の「鉄柱カッペ採炭」開始により15トンに、「ベルト斜坑」が完成した昭和31年度には32トン余りに急伸します。この数字は当時の全国大手炭鉱平均の2倍近い出炭効率でした。



また、羽幌炭砿は昭和30年代の労務管理業務の多くを福利厚生面の整備・強化に当て、当時の1人当たりの法定外福利費は、全国の石炭企業平均の2倍~3倍の高水準でした。このように、羽幌炭砿は福利厚生面においても「中小炭鉱の雄」の名に恥じず、炭鉱コミュニティーの生活水準は都会のそれに決して引けをとりませんでした。

写真は、当時の出坑口風景です。

詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。

鈴木商店の歴史>金子直吉のお家再興に向けて>羽幌炭砿にまつわる話シリーズ④「大手炭鉱も目を見張る羽幌炭砿の急成長」

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