カネ辰藤田商店創業者・藤田助七の菩提寺を訪ねました。

2015.11.27.

DSCN1896-11.jpg辰巳屋松原商店二代目・恒七の番頭で娘婿の藤田助七は、恒七が病に倒れたため松原商店本店を引き継いで、暖簾分けによりカネ辰藤田商店を創業しました。(明治7(1874)年) 同時に神戸店は鈴木岩治郎がカネ辰鈴木商店として創業しました。

カネ辰藤田商店は、大阪船場・長堀橋本店の暖簾を引き継いだが、やがて鈴木商店と運命共同体となってその発展を支え続け、鈴木と命運を共にしています。

鈴木商店の経営がいよいよ苦境に陥る大正15(1926)年、藤田助七はその生涯を閉じました。助七および藤田家の墓は、大阪谷町の日蓮宗・薬王寺に設けられています。

薬王寺山門脇には、江戸中期の歌舞伎役者「初代中村富十郎の墓」の石柱 が建てられているほか、岩井半四郎、片岡仁左衛門など江戸時代の歌舞伎役者の墓があります。さらに忠臣蔵で有名な大石内蔵助の腹心・大高源吾の墓もあり、小規模な寺院ながら著名人が多く祀られていることでも知られています。

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