国立科学博物館にて「帝人・人絹」に関する企画展を見学してきました。

2015.5.7.

ゴールデンウィーク中に開催されていました山形大学・国立科学博物館共同企画展「山形から未来を照らすサイエンス」を見学してきました。本企画展は、山形大学から生まれた技術を紹介しており、前身の米沢高等工業学校にて人造絹糸が開発され、帝国人造絹糸(現・帝人)が誕生いたしました。下記に簡単に展示の様子などをご紹介いたします。

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「展示室入口の様子」 パネルの写真は米沢高等工業学校時代に建設された校舎

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「人絹生みの親 秦逸三」            「秦が読んでいた研究室時代の学術専門書」

「秦逸三は、明治41(1908)年東京帝大工学部応用化学科を卒業し、神戸税関を経て、明治45(1912)年米沢高等工業学校(現山形大学工学部)応用化学科に赴任しました。秦は着任早々、ビスコース人絹の研究に着手しました。大正2(1913)年には製造実験を学内で公開するまでになり、起業家金子直吉から資金援助を受けるようになりました。研究の進歩を見た金子直吉は大正4(1915)年に米沢人造絹糸製造所を発足させました。教授を辞した秦は技師長として東工業の技師長・久村清太の協力も得て人絹の工業化に専念し、それに成功しました。秦はこの成功により人造絹糸生みの父といわれ、米沢は人造繊維発祥の地」となりました。

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「米沢工場初期の人造絹糸」          「帝人岩国工場で製造された人造絹糸」

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「研究室時代の人造絹糸」 原料にはティッシュペーパーや脱脂綿を使っていました。「みずほ絹」たて糸に人絹、よこ糸に天然の絹をよった生地。当時爆発的な売り上げを記録しました。

以上

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