辰巳会・会報「たつみ」シリーズ⑨「第9号」をご紹介します。

2020.8.2.

20200317_112021表紙(たつみ第9号).jpg「たつみ」第9号は、昭和43(1968)年4月2日に辰巳会供養塔除幕式が行われたことを記念して"物故会員供養塔記念号"として発行されました。(昭和43年9月1日)

◇特集「辰巳会物故会員供養塔

 昭和42(1967)年に開かれた辰巳会全国大会に於いて「物故者の供養塔の建立」が記念事業として決定され、この程、神戸篠原・祥龍寺に関係者250名の出席の下、供養塔除幕式が執り行われました。物故者名簿に記載されていた677名の他多数の無名人の供養も併せて祈願されました。

 特集記事の他、会員の投稿、会員の動静が掲載されています。

◇「鈴木商店の思い出」 麗洞・藤田東山

 大正6(1917)年から大正9(1920)年末まで鈴木商店に在籍し、会計課・日野主任のもとで過ごした筆者が、当時の店の和気あいあいな様子を懐かしく述懐しています。店の食堂では、支配人から見習い社員まで上下の差別なく食べ放題、健康のため六甲や須磨の山々に皆で出かけたこと等を記したほか、後年、昭和11,2年頃のこと、陸軍参謀本部に召集され、金沢、福井への出張時、列車内で偶然会話を交わした老婦人がお家さんだったと車内での情景が浮かんで来ると思い出を投稿しています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「日商・岩井合併に際して」 日商・西川政一

 昭和2(1927)年の鈴木商店破綻に遭遇し、翌年の日商の創立メンバーに加わり、同社第4代社長を務める筆者は、創立以来絶えずかつての栄光を夢見て、敢えて合併も辞せずの信念で岩井産業との合併を決心した。岩井産業との合併は、両社の補完関係からメリットが大きいと判断したが、合併実現までに数々の課題が残されていること等を辰巳会例会で合併直前の心境を語っています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「高畑誠一氏の労作成る」

 満81歳の誕生日を間近に迎える高畑誠一氏(日商会長)は、この程60年のビジネスマンとしての総決算として、日本の政治、経済の側面を豊富な統計資料を駆使して「"Industrial Japan and Industrious Japanese"(工業国日本と勤勉なる日本人)」と題する英文による論文を刊行された。

 "近代工業国家日本が短期間のうちに発展を遂げた実体を世界の人々に知ってもらいたいと願って本書を書き始めた"と云い、千人を超える海外の財界人に送ったとのこと。

 氏は、卓越した語学力を駆使してこれまでに六編の英文の論文を著している。いずれも戦後の日本経済の諸変化を題材に書かれ、内外の政財界に好評を博したと云われた。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「芳川筍之助翁を悼む」 柳田義一

 本年(昭和43(1968)年)5月に90歳の天寿を全うされた大先輩・芳川筍之助翁を悼んで「たつみ」編集人の筆者が、芳川氏の足跡を振り返っている。

 鈴木商店創業期、語学力と貿易実務経験を請われて鈴木入りした外国商館「イリス商会」出身の芳川は、本格的に海外貿易に乗り出す鈴木商店が、明治42(1909)年、ロンドン支店開設に当たって初代支店長として全権を任され、大正元(1912)年、高畑誠一がロンドンに赴任するまでの地盤作りに尽くされた。

 帰朝後は、本店電信部、洋糖部主任として活躍したばかりか、若手社員の教育にも力を注いだ。後に支配人として金子、柳田両翁を補佐した他、浪華倉庫社長としても功績を残された。(詳細は、下記の関連資料をご覧ください。)

◇「鈴木よね子刀自と神戸市立女子商業学校

 大正6(1917)年、お家さん・鈴木よねの寄付金(5年間に亘り毎年2万円)により設立された神戸市立女子商業(後に神港高等学校を経て現・神戸市立神港橘高等学校)は、その後もお家さんから大正7年には、グランドピアノ寄贈、大正8年から大正10年までは、寄付金が年額4,500万円に増額されるなど、多大な資金援助があった。また、大正7年には、校友会主催の(在校生)学芸会が須磨の鈴木邸で開かれたことが当時の学芸会プログラムに残されている。(詳細は、関連リンクよりご覧ください。)

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