辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㊺「たつみ第45号」をご紹介します。

2022.10.24.

たつみ第45号表紙.png 「たつみ第45号」は、昭和61(1986)年8月1日に発行されました。本号の表紙を飾るのは、京都・御寺泉湧寺(みてらせんゆうじ)仏殿(本堂)。建保6(1218)年開山された同寺は、後鳥羽上皇、後高倉院の時代より皇室との関係が深く、皇室の菩提寺(皇室の御寺)としての"寺格"が与えられた別格の寺院でした。

 「辰巳会第27回全国大会」が、昭和61(1986)年5月22日、同泉湧寺にて会員95名の出席の下開催されました。

 「たつみ誌」創刊以来、編集人として全面的に編集に携わってきた柳田義一氏(鈴木商店番頭・柳田富士松の長男)が高齢による体調低下から前号より編集業務を離れ、代理人により編集作業が行われています。

◇「西川政一 弔辞」

 鈴木商店・金子直吉の縦横な活躍を支えた名支配人・西川文蔵の女婿として鈴木商店の苦境期を経験、鈴木破綻後は日商の設立に加わり、日商の第四代社長、日商岩井初代社長を歴任した西川政一氏が昭和61(1986)年6月4日、88年の生涯を閉じた。西川氏の死を悼み、日商時代の後輩各氏からの弔辞が寄せられた。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「野尻学荘」鈴木治雄

 太陽鉱工社長であり、「辰巳会」第二代会長を務める筆者は、多くの人たちと親しく交遊関係を持ったが、中でも多感な青春時代に出会った砂糖商の故小林弥太郎氏からは自身の生き方に大きな影響を受けたと云う。

 筆者の中学時代から大学三年生までの9年間、小林氏の開設した野尻湖のキャンプ場「野尻学荘」に参加し、氏から直に薫陶を受けたことが忘れられない。

 小林氏は、東京日本橋の豪商砂糖問屋「百足屋(むかでや)」の二代目代表者であったが、若き日には鈴木商店で見習い修行したこともあり、鈴木に勤めながら関西学院に学び、キリスト教に入信した。後年、百足屋の代表として活躍する傍ら、野尻湖、山中湖にキャンプ場を開き、若者に民主主義教育を実践すると同時にキリスト教普及活動にも尽力した。(詳細は、関連リンクをご覧ください。また、小林氏については、「たつみ第31号」もご覧ください。) 

◇「わが人生」坂本寿

 鈴木商店・金子直吉と同郷の土佐(高知県)出身で、金子の薫陶を受け金子を師と仰ぎ、金子の名を口にする度、正座をせずには居られないと畏敬の念が人一倍強い筆者は、自身の歩んで来た人生を振り返り、人との出会い、運命の不思議さに感激を覚えると云う。

 鈴木商店では、鉄材部経理担当として社会人第一歩を踏み出し、経理マンとして経験を積んだ。鈴木破綻後、「日本発条」の設立に加わり、同社社長、会長を歴任、昭和51(1976)年名誉会長に就任した。今日の自身があるのは、金子直吉との運命の出会いがあったからで、人生とは運命の連鎖によるものと実感している。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「辰巳会会員便り

 辰巳会会員の平均年齢は、85歳を超え年々会員数も減少の一途を辿っている。会員の近況を伝える会員便りも未亡人、子息など準会員からの近況が多くなって来た。(詳細は、関連リンクをご覧ください。) 

◇「辰巳会だより

 辰巳会本部、各支部の活動状況が報告された。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

 〇本部新年例会:昭和61(1986)年1月21日 参加者50名 於:神戸・第一楼  同年1月神戸新聞出版センターより出版した「黎明の女たち」の著者・島京子氏をゲストに迎えた。同氏は、鈴木よねゆかりの「神戸女子商業(後の神港橘高等学校)」中退で、神戸市出身の作家。新刊書では、鈴木よねを初め8名の女性実業家を描いている。

 〇全国大会:昭和61(1986)年5月22日 参加者95名 於:京都泉湧寺  神戸・祥龍寺供養塔に合祀された会員1,004名の冥福を祈り黙祷を捧げた。

 〇東京支部新年例会:昭和61(1986)年1月28日 参加者29名 於:築地スエヒロ

 〇東京支部春季旅行:昭和61(1986)年3月27日 参加者22名 川越バス旅行 

         

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