「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑦」を掲載しました。

2022.11.2.

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する7回目です。

daitoukouzan1955goro2.png昭和33(1958)年、日本経済は神武景気をも(しの)ぐ好況が到来しました。昭和36(1961)年にかけて続いた岩戸景気です。

日本の鉄鋼業は昭和34(1959)年にはフランスを抜いて世界第5位の粗鋼生産高を記録するとともに、特殊鋼の生産も自動車、電気機器といった耐久消費財や産業機械などの需要の伸びに対応して増大し、昭和35(1960)年にはイギリス、フランスを抜いて世界第3位の地位を確保しました。

大東(だいとう)鉱山は昭和32(1957)年6月に「大東鉱業所」に改称され、月産18トンから20トンにおよぶモリブデンの生産体制を確立しました。昭和34(1959)年に生産のピークを迎えた大東鉱業所は、同年のわが国の硫化モリブデン鉱石生産量719トンの約38%を占める273トンの生産高を記録しました。

昭和34(1959)年、同社はかねてより懸案であった生産の合理化計画(赤穂工場への生産集中策)を実行に移しました。すなわち昭和35(1960)年3月、仙台工場で行われていたフェロモリブデン、フェロバナジウムなどの主力製品の生産を赤穂工場に移行し、硫化モリブデンからフェロモリブデンまでの一貫メーカーとしての生産体制を確立しました。

こうして、同社は生産実績、販売実績ともにモリブデン業界第1位の座に就きました。同社創立11年目のことでした。

冒頭の写真は、大東鉱業所事務所です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑦

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