鈴木商店の生産事業を支えた技術者シリーズ⑦「鈴木商店の化学事業に多大な貢献を果たした磯部房信(その3)」をご紹介します。

2024.3.3.

isobehusanobu5.png第一次世界大戦が勃発すると同時に、わが国はヨーロッパからガラス、製紙、ビールその他諸工業に必須のソーダ(炭酸ナトリウム)の輸入が途絶したため、大正7(1918)年1月頃にはその値段は平時の3倍以上に達したことから、金子直吉は時の農商務大臣・仲小路(なかしょうじ)(れん)からソーダ自給の方策について相談を受けました。

同年2月、磯部房信は金子の命を受けてソーダ工業を満州に起業することを前提としたソーダ製造の研究とアンモニア合成法の調査のため渡米し、5カ月にわたり東奔西走してソーダ製造については米国の資本家との提携を試み、アンモニア合成についてはジェネラルケミカル社のGC法について調査するため苦心惨憺の旅を続けました。しかし、あらゆる努力を傾注するもほとんど成果はなく、同年6月に帰国します。


hurantenenden.PNG同年7月中旬、英国・ブラナーモンド社(Brunner,Mond & Co.,Ltd.)(後・ICI社)の社員が磯部を訪ねて来ました。磯部が鈴木商店としてソーダ工業を起業するため、渡米して資本家と提携しようと努力していたことを伝え聞き、鈴木商店と提携しようと、はるばる英国から磯部の後を追って来たというのです。

磯部は直ちに同社と意見交換を行い、磯部の申し出を承諾した日本プラナーモンド社の専務・ウートン達と大連に渡り、鈴木商店傘下の大日本塩業(現・日塩)の関東州の塩田(右の写真)を視察して7月下旬に神戸に戻り、間もなく上京すると鈴木商店本店焼き打ちの報に接します。

大正8(1919)年1月、磯部は単身、英国・プラナーモンド本社(イングランドのチェシャ―州・ノースウィッチ)を訪問し、満州の塩田を基礎とする両社の共同出資によるソーダ工場の建設について議論すること1週間、同社役員の態度は一変しました。

大いに議論を闘わしましたが、先方は10名、当方は磯部一人で、結局磯部は「(第一次世界大戦の趨勢としてドイツを中心とする同盟国側の敗北が決定し)平和回復の曙光(しょこう)が見えた今日、何を苦しんで経済的にソーダ製造に不利な工業を極東に興す必要があろう。君はもう必要ないから帰れ」と促されました。

これに対し、磯部は憤怒の余り「貴社の後援なしに、単独でソーダ工業を満州に起こすから覚悟せよ」と啖呵を切ったところ、同社のロスコ―・プラナー社長は笑って「当社は世界ソーダ界の権威である。貴君の満州における単独のソーダ工業の計画に対してはどこまでも競争を辞さない。当社は過去60年間、あらゆる世界のソーダ会社を敵として、これを征服した歴史がある。将来と言えども、アフリカの天然ソーダ以外に世界のどこに起る化学ソーダ会社とでも競争してこれに打ち勝つ確信がある」と暗々裏に鈴木商店の単独計画を戒めました。

takahataseiiti6.PNG"アフリカの天然ソーダ以外" 、同社社長のこの一言は磯部にとっては天来の一大福音でした。プラナーモンド社が天然ソーダには脅威を感じていることが確認でき、進むべき道はアフリカの天然ソーダ以外に何物もないと確信した磯部は迷わず鈴木商店ロンドン支店に赴きました。

磯部は、鶴首(かくしゅ)して彼の到着を待っていたロンドン支店長の高畑誠一(左の写真)に一部始終を語り、アフリカの天然ソーダに着眼する計画を相談したところ、商機に特別の慧眼を有する高畑は直ちに賛成しました。

その後、約5カ月にわたって高畑と磯部は歩調を一にして、鈴木商店の取引先である英商・サミユル商会に対してあらゆる努力を傾注し、大戦のため瀕死の状態に陥っていた同商会の管理下にあった英領東アフリカ(現・ケニア)のマガディ湖畔(Lake Magadi)にある英国・マガディソーダ社(Magadi Soda Co.,ltd.)の業容の回復に務めました。

makajikosoodakoujyou2.PNGそして、遂に二人の努力は実を結び、鈴木商店は同社が販売するマガディ湖産天然ソーダの東洋における一手販売権を獲得しました。(右の写真は、マガディ湖のマガディソーダ社の工場です)

この時の契約に基づいてソーダの輸入販売会社として設立されたのが太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)です。大正8(1919)年10月1日、合名会社鈴木商店で同社の創立総会が開かれ、次のとおり役員が選任され、磯部も鈴木商店の幹部とともに名を連ねました。

取締役社長 鈴木岩蔵、取締役 高畑誠一、松本褒一、磯部房信、松原清三、監査役 永井幸太郎、 芳川筍之助

太陽曹達は翌大正9(1920)年からソーダの販売を開始しましたが、ブラナーモンド社との間で熾烈な販売競争が起こりました。その結果、ソーダの価格は急低下し、このことがわが国に破格の安価なソーダを供給する結果となり、ガラス、製紙、ビールほか諸工業の発展に大いに寄与するところとなりました。

その後、ブラナーモンド社は太陽曹達に対抗するため、イギリスでマガディソーダ社の株式の過半数を買占め、ついにマガディソーダ社を自社の管理下に置きました。しかし、結局太陽曹達はブラナーモンド社と新たにマガディソーダ社が日本で販売するソーダの一手販売権に関する協定を締結し、以前と変わることなく日本国内にマガディソーダ社のソーダの供給を続けることができました。

鈴木商店の生産事業を支えた技術者シリーズ⑦「鈴木商店の化学事業に多大な貢献を果たした磯部房信(その4)」をご紹介します。

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