辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉙「たつみ第29号」をご紹介します。

2021.11.3.

たつみ第29号表紙 - コピー.png 「たつみ第29号」は、昭和53(1978)年8月1日に発行されました。前号に特集記事が掲載されましたが、神戸新聞に連載中の「海鳴りやまず」は2年目に入り、いよいよ大正期の神戸経済界を牽引した金子直吉、松方幸次郎などが登場して来ます。同連載に平行して「海鳴りやまず第2部」が文庫本として刊行されました。また、これに先立つ昭和52(1977)年、神戸大学助教授・桂芳男氏の「総合商社の源流 鈴木商店」が刊行されいずれも大きな反響がありました。 

◇「よみがえる伝統商法~企業戦略のルーツをさぐる(上)」大阪大学教授 作道洋太郎

 我が国の経済が高成長から低成長に移行する中、企業経営の基本姿勢や企業者精神の見直しの動きが見られる。江戸中期の豪商の経営戦略を生んだ「関西商法」の伝統から企業者精神を学ぼうとするもの。

 大阪大学教授で日本経済史の専門家・作道洋太郎氏は、家業の永続のために制定された「家訓」「家憲」を三井、住友、鴻池の老舗の例を挙げ、関西商法の三つの原点(西鶴商法、家訓、石門心学)の中核とみなし、家訓の五つの要点、その歴史的背景、その原像を解説しています。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

◇「太陽鉱工(株)が取組む再資源化事業」

 モリブデン、バナジウム、チタン、ニオブ等のレアメタルの大手メーカーで、製鉄用の添加材・合金鉄分野でも実績を挙げている太陽鉱工は、重油、灯油、ガソリン等の硫黄分の脱硫用触媒として使われたモリブデン、バナジウムについて、使用済み触媒からこれらの金属を回収する"再資源化事業"に本格的に乗り出す。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「鈴木商店の貴重な資料 市へ寄贈」

 「金子直吉の"天下三分の宣誓書"」「日米船鉄交換契約記念置時計」「鈴木商店暖簾、法被」等々鈴木商店の貴重な資料が、それらを保管していた辰巳会幹事で「たつみ」編集人の柳田義一氏より神戸市に寄託されたことが報じられた。

 寄託された資料は、20件、29点に及び、いずれも鈴木商店の活動やその興亡を知る貴重な資料である。神戸市では、昭和56(1981)年度に開館予定の神戸市立博物館にこれら寄託資料を移し、一般公開していく方針。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「半年坊さん語る 金子・柳田両翁とその他」隅田栄

 高知出身の筆者は、昨年11月に開かれた近畿高知県人会に参加した際、1,000人近い出席者を前に知事より土佐の山間から世界的大事業家・金子直吉を輩出したことを力説されたことに感激した。

 高知市高(高知市立高)中退してボンさんとして鈴木商店に入社した筆者は、大阪支店麦酒部に配属された。入社当時、柳田翁は日曜日以外の毎日大阪支店に来られ、相場変動の激しい砂糖部を重点的に指導されていた。これに対し、金子翁は、筆者が在籍していた当時はわずか一日のみ来店されたが、井原五兵衛支店長始め支店幹部がうやうやしく迎えていたことが印象に残った。三井を凌駕し、絶頂期にあった鈴木の大阪支店でも猛烈な勢いで各自が邁進していた様が忘れられない。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「李方子女史を迎えて」

 元皇族・梨本宮家より朝鮮王朝皇太子・李垠(イ・ウン)に嫁ぎ、殿下死後は、韓国で障害児教育に尽力され、日韓の架け橋としても尽くされている李方子(りまさこ;朝鮮読みイ・バンジャ)女子が来日された折、故殿下の追善供養のため苧川谷法徳寺(神戸市中央区)に来られた。同寺とゆかりのある編集人・柳田義一氏が招かれ方子女子にお目にかかる機会があった。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

◇「大阪経済時評 倒産にもモラルが必要」

 昔は企業が滅ぶにも"美学"がったあったと云う。最近の倒産は、経営者が財産を隠したり、経営者の趣味品を社費で買い漁ったりと目に余る。鈴木商店の倒産処理における金子直吉の債権者に対する誠意、社員の再就職のためにはライバルの三井、三菱にも頭を下げるなど金子の修羅場に於ける生き様が、今日までOBの親睦組織・辰巳会が続いている秘密かも知れない。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

◇「全国大会」

 本年度の辰巳会全国大会は昭和53(1978)年5月11日、160名の会員参加の下、京都東山大雲院南渓園別院にて開催された。新物故者の合祀法要の報告に続いて、NHK記者・大塚融氏による講演、NHKによるロケ撮影が行われた。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

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