辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉖「たつみ第26号」をご紹介します。

2021.9.14.

たつみ第26号表紙.png たつみ第26号は、昭和52(1977)年1月1日に発行されました。本号の表紙を飾るのは、人間国宝・芹沢銈介が開発した伝統工芸の「型絵染(かたえぞめ)」による鮮やかな色彩の泰山木(たいさんぼく;モクレン科の常緑高木)で現代工芸美術展の入選作(当時)。

 本号では、会員の投稿が少なく、また鈴木商店に関連する記事も減っており寂寥感を禁じ得ない。取り分け本号の常連投稿者でもあった「黄旗亭」こと木畑龍治郎氏が急逝されたことは大きな損失となった。

◇「金子直吉翁物語」(森本準一氏落穂集より)昭和36年2月7日

 鈴木商店を資金面で支えた台湾銀行から鈴木商店に転籍した後、神戸製鋼所常務、日本エヤーブレーキ社長を歴任し、同社会長を務める森本準一氏が、関西経営者協会主催の「第五回財界人を囲む会」での講演要旨を紹介している。

 大正12(1923)年に鈴木商店に転籍して以来、金子直吉が亡くなる昭和19(1944)年まで20年を超える金子との親密な思い出やその人となりを語っている。

 鈴木商店破綻の原因について一言でと森本氏に問われた金子の興味深い返答や実現しなかった金子の大構想は自分たちの考えより数十年先を進んでいたこと等を回想する。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇藤原長司氏弔辞「まさに幸福な生涯」大屋晋三

 鈴木商店名古屋支店で"人絹"を担当したことから鈴木破綻後、帝人の支援を得て福井に興した「広撚」創業者・藤原長司氏が昨年・昭和50(1975)年に74歳の生涯を閉じた。この程、「藤原長司を偲ぶ 広撚四十五年史」が出版された。藤原とは鈴木時代から親密な交遊関係のある帝人社長・大屋晋三が藤原を悼んで同社史に寄せた弔辞が紹介されている。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「あゝ黄旗くん!!」西川政一 / 弔辞 「木畑龍治郎君」柳田義一

 辰巳会幹事で辰巳会をこよなく愛し、会報「たつみ」の編集にも貢献し度々、「黄旗亭」のペンネームで投稿した木畑龍治郎氏が急逝された。木畑氏とは宇治川(東川崎町)本店時代から親しく、近年は岳父・西川文蔵支配人の頌徳碑建立に木畑氏の一方ならぬ尽力を得た西川政一氏(日商岩井社長、当時)ならびにたつみ誌編集人・柳田義一氏がそれぞれ故人を偲んで弔辞を寄せている。(詳細は、関連リンクをご覧ください。) 

◇「船鉄交換と鈴木」今村頼吉

 神戸高商出身で大正9(1920)年、鈴木商店に入社し鉄材部に配属された筆者が、入社2年前の大正7(1918)年に締結された有名な「日米船鉄交換契約」について振り返っている。同契約は、第一次、第二次に分けて締結されたが、この内の第一次交換船の大要を綴っている。

 「船鉄交換同盟史」によれば、筆者が入社した大正9(1920)年には、交換船の引き渡しは前年に完了しており、同年5月にはモリス米国大使が帰国、9月には船鉄交換同盟会が解散し同契約の最終章を迎えていた。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

 

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