鈴木商店こぼれ話シリーズ㉑「現職の市長を相談役に迎えた創業期の佐賀紡績人事」をご紹介します。

2017.12.29.

DSC_0259佐賀紡績(大正8年頃).jpg大正初期の佐賀には、大規模な製造業が無く、地元企業家の間に佐賀の繁栄策として紡績業を興す機運が高まった。

伊丹弥太郎(栄銀行頭取、東邦電力社長)、古賀善兵衛(古賀家二代目、古賀銀行頭取)、吉田久太郎(百六銀行頭取)、古賀製次郎、野口能毅(佐賀市長)の地元有力者5名により「佐賀紡績」の設立が提起され、大正5(1916)年4月5日に設立発起人会が開かれた。(写真は大正8(1919)年頃の佐賀紡績)

この計画を中心となって牽引したのが当時の佐賀市長・野口能毅であった。野口は、第8代~12代市長(明治45(1912)年7月5日~昭和6(1931)年2月2日在任)を務めたこともあり、佐賀市の近代化には殊の外、情熱を傾けた。

野口は、鈴木商店の経営参画を強く働きかけ、鈴木主導により大正5(1916)年12月「佐賀紡績」が資本金300万円にて設立されると、金子直吉と共に同社の相談役に名を連ねた。現役の市長が、私企業の経営に間接的とは云え、関与したことは極めて異例で、野口を始め佐賀の経済界が如何に鈴木商店に期待したかが想像される。佐賀紡績は、当時の佐賀市郡の企業の中では最大規模となった。

創業時の佐賀紡績の経営は、以下の陣容でスタートした。(*は鈴木商店関係者)

取締役社長:橋本善造*、専務取締役:井田亦吉*、取締役:伊丹彦治郎、太田米三郎、福田慶四郎、土屋新兵衛*、竹村房吉*、川副綱隆*、原新一*、波多野恕吉*(支配人)、相談役:野口能毅、金子直吉*

後年、佐賀紡績の経営悪化の折には、野口は鐘淵紡績の武藤山治との直接交渉に乗り出し、鐘紡系列の「金華紡績」との合併をまとめる等並々ならぬ情熱を注いだ。

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