⑦佐賀市役所

古代「肥前国」府庁が置かれた佐賀の地には「肥前国風土記」の歴史・風土が漂う

佐賀市は、佐賀県の県庁所在地で、同県最大の人口(約23万人、平成28年12月末現在) を擁する市である。佐賀市は、 平成17(2005)年10月1日に1市3町1村の合併により新生・佐賀市となり、その後、南部3町との合併を経て、現在に至っている。

新・佐賀市は、有明海から背振山地までを縦断する広い市域を有し、市街地は佐賀平野の中心付近に位置する。秋には嘉瀬川河川敷を中心に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、バルーン(熱気球)の街として賑わう。

歴史的に大正初期の佐賀には、大規模な製造業が無く「佐賀セメント」がわずかに佐賀郡の代表的企業であったが、資本金は80万円と中規模メーカーに過ぎなかった。こうした状況において、佐賀の企業家の間に佐賀の繁栄策として紡績業を興す機運が高まった

地元の有力実業家と共に当時の佐賀市長・野口能毅(第8代~12代市長;明治45(1912)年7月5日~昭和6(1931)年2月2日在任)が中心となって「佐賀紡績」の設立発起人となった。

野口は、鈴木商店の経営参画を強く働きかけ、鈴木主導により「佐賀紡績」が設立されると金子直吉と共に同社の相談役に名を連ねた。現役の市長が、私企業の経営に間接的とは云え、関与したことは極めて異例と云えよう。

後年、佐賀紡績の経営悪化の折には、野口は鐘淵紡績の武藤山治との直接交渉に乗り出し、鐘紡系列の「錦華紡績」との合併をまとめる等並々ならぬ情熱を傾けた。

関連資料

  • 熱気球大会(インターナショナル・バルーンフェスタ)
  • 大正時代の佐賀市役所
  • 佐賀市長・野口能毅

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