因島三庄町(広島県・尾道市)

因島三庄町浜上付近からの眺望
造船の島・因島に鈴木商店の造船事業の出発点「備後船渠」が操業していた。
広島県尾道市に属し芸予諸島北東部に位置する因島は、本州尾道から約17km南にある面積35.03㎢の小島。瀬戸内海国立公園の中央に位置し、広島県尾道市と愛媛県今治市の間に浮かぶ6つの島と7つの橋を結ぶ全長約70kmの”しまなみ海道”のうち、因島大橋と生口橋を結ぶ同海道の一部を構成する。
因島は古くは塩田として栄えたが、中世(室町時代から戦国時代)には、村上海賊(村上水軍)の本拠地として、近世には廻船業が盛んになった。明治以降の近代には造船業が興り現代に至っている。
近代的造船業は、明治29(1896)年創業の「土生船渠合資会社」から発展し、明治36(1903)年1月設立の「因島船渠(株)」からと云われる。これに続き明治33(1900)年、御調郡の地元有力者により創業した「三庄船渠合資会社」を株式に改組し、明治34(1901)年設立した「備後船渠(株)」があり、この2社により本格的な鉄造船の時代が始まった。
英国人E.Hハンターによって創設された造船工場「大阪鉄工所」は、洋式造船業の先鞭をつけ、わが国初の鋼船の建造を実現し事業拡大を計って明治44(1911)年、「因島船渠」を買収し「大阪鉄工所・因島工場」として本格的に事業を推進した。
一方、「備後船渠」は、日露戦争当時、軍用船修繕ほか業績は順調に推移。戦後は一転して不況に陥るも事業は回復し、ドック(船渠)増設等拡張した。予てより造船事業への進出を図る鈴木商店が大正6(1917)年、備後船渠を買収し、鈴木商店による経営となり海岸埋め立て、船台の増設、工場の拡張により大いに多忙を極めつつありと見られたが、鈴木商店は、同社の経営を断念。大正8(1919)年備後船渠は、大阪鉄工所に買収され「大阪鉄工所・因島三庄工場」となった。こうして大阪鉄工所因島造船所は、因島を代表する造船所として大きく発展した。


