①備後船渠

鈴木商店初の大型造船事業は播磨造船所への助走 

 所在地:御調(みつぎ)郡三庄(みつのしょう)村(現・尾道市因島三庄町七区))

 明治33(1900)年、御調郡三庄村の有志により設立された資本金3,000円の「三庄船渠合資会社」が前身。翌明治34(1901)年6月、資本金150,000円の株式会社に改組し同時に「備後船渠株式会社」に改称。 

 日露戦争終結後は一転して不況に陥るも、明治40年には船渠(ドック)増設等諸設備を整え業績向上し社運は順調に推移した。予てより造船事業進出を目指す鈴木商店は、備後船渠の買収を図ると大正6(1917)年6月、社長兼大株主の西宗元次郎氏は、持ち株の大部分を鈴木商店に譲り渡し、鈴木商店が経営するところとなった。

 新生・備後船渠の経営陣には、鈴木商店は小杉辰三(取締役社長)、松尾忠二郎(専務取締役)、田宮嘉右衛門(取締役)、依岡省輔(監査役)を送り込んだ。(下記)

 鈴木商店による買収当時の備後船渠海岸埋め立て船台の増設工場の拡張により建造中の鉄船1,000トン型2小型船4隻ありさらに大型鉄船の建造修繕を計画し職工は1,400名を擁する規模に発展していた。(鈴木商店調査書

 こうして備後船渠は順調な滑り出しを見せていたが大正8(1919)年同社は大阪鉄工所(後の日立造船に売却された兵庫県相生の播磨造船の再建を懇請された鈴木商店は、同社の買収を決定し、播磨造船所を設立することから、大阪鉄工所との競合を避けることもあり備後船渠の経営を断念し、播磨造船所の拡張に注力することとなった。

 事業拡大を目指す大阪鉄工所は備後船渠の買収に先立つ明治44(1901)因島船渠を買収して同社因島工場とし新たに買収した備後船渠を備後工場とした後、三庄工場に改称し因島工場の分工場(大阪鉄工所因島三庄工場)とした

 備後船渠は、大阪鉄工所因島工場三庄ドックとして第二次世界大戦時には日本海軍の潜水艦等艦船の修理を担い戦後は日立造船因島三庄ドックとして伊号潜水艦の引き揚げ・解体作業を行った

 旧備後船渠跡地には昭和4521備後船渠史跡碑並びに「第二号ドック(船渠)増設記念」碑が建立されている

 1) 起工 明治34年6月 / 竣工 明治35年12月     社長 今中富三郎、 専務取締役 中桐慶太郎、 取締役 渡邊栄治、 同 河野周作、   同 小林米三郎、 同 沖素六、 同 藤井浜吉、 監査役 村上卓一、 同 吉本熊太郎、 同 稲田優也、 工事設計監督者 渡邊栄治、技術者 石原富次郎

 2)増設記念碑  起工 明治38年10月 / 竣工 明治40年1月    工事請負人 渡邊栄治     

 

 

関連資料

  • 備後船渠造船工場 (画像提供:カナデビア・因島工場)
  • 備後船渠鈴木商店出身役員 (上段(左)小杉辰三 (右)松尾忠二郎)、下段(左)田宮嘉右衛門 (右)依岡省輔)
  • 備後船渠史蹟

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