二坑会館(昭和27年頃)

昭和25(1950)年に起こった労働争議(1か月におよぶストライキ)を最後に、羽幌炭砿は労使一体となって本格的な合理化と技術革新によりコストダウンをはかるとともに、出炭量の増加に邁進して行った。炭砿の発展とともに、住居、文教施設、体育施設などの福利厚生面も徐々に充実していった。さらに、会社は従業員や家族の慰労にも力を入れるようになった。これに伴い、人々の生活にも余裕ができ映画、観劇、音楽、スポーツなどが楽しめるようになった。このような状況の中、昭和27(1952)年に築別炭砿に「築炭会館」が完成した。それまでの会館とは名ばかりの建物から一転、都会の劇場・映画館と変わらない近代的な施設の誕生であった。会社の記念行事、炭砿(ヤマ)の各芸能グループの発表会、講演会なども行われ、ヤマの「娯楽の殿堂」、「文化の殿堂」とも言える存在になった。時をほぼ同じくして上羽幌坑には「二坑会館」が建設された。場所は炭砿住宅の中心地である旭町に位置し、映画の上映を中心に人々の憩いの場となった。

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