大山祇神社社殿(当時)

築別炭砿の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、築別炭砿駅を降りて辰巳橋を渡りそのまま直進すると、突き当りの築別炭砿事務所裏の森に囲まれた高台にあった。築別炭砿開坑当初の昭和15(1940)年に選炭工場裏の高台に造営されたが、その後神殿が老朽化し、場所も良いとは言えなかったため昭和30(1955)年に新造し、遷座したものである。参道や境内は、住民の勤労奉仕で整備された。なお、神社の正面に向かって左脇には羽幌炭砿に主家再興の夢を賭けていた金子直吉の胸像が建てられていた。地元では「築炭神社」と呼ばれており、愛媛県今治市大三島町にある大山祇神社総本社の支社の一つであった。同総本社のご祭神は古来より「山の神」、「海の神」、「戦いの神」として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めていたことから、全国の多くの炭鉱など鉱山でも祀られていた。毎年6月11日から13日にかけては「山神祭」が催され、これにあわせて太陽中学校の運動会も開催された。しかし、当時の賑わいもいまはなくただ無人の石段だけが静寂の森の中に続いている。

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