新年を迎え大山祇神社に参拝する人々(当時)

築別炭砿の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、築別炭砿駅を降りて辰巳橋を渡りそのまま直進すると、突き当りの築別炭砿事務所裏の森に囲まれた高台にあった。神社の正面に向かって左脇には羽幌炭砿に主家再興の夢を賭けていた金子直吉の胸像が建てられていた。地元では「築炭神社」と呼ばれており、愛媛県今治市大三島町にある大山祇神社総本社の支社の一つであった。同総本社のご祭神は古来より「山の神」、「海の神」、「戦いの神」として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めていたことから、全国の多くの炭鉱など鉱山でも祀られていた。毎年大晦日には、午前零時の時報とともに人々が健康を、安全を、無事故を、さらに山の繁栄を祈って柏手を打つ音が響き、狭い神社の境内では新年の挨拶を交わす姿が夜の白むまで続いていた。まさに、住民の心の拠りどころともいうべき氏神であった。                                (写真は「羽幌炭鉱小史」(近藤清徹著)より)          

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