築別炭砿の貯炭場(ホッパー)横を疾走する C111蒸気機関車(当時) 

昭和16(1941)年12月14日、内陸の築別炭砿駅から国鉄羽幌線に至る16km余りを結ぶ羽幌炭砿鉄道が開通した。そこには鉄路の建設資材と機関車の調達に関して創業時の人々の筆舌に尽くしがたい苦労があったことを忘れてはならない。当時は戦時下であり、資材不足は深刻を極めたが、同時に機関車の調達にも大きな困難が伴った。創業当時の保有車両は蒸気機関車2両、貨車1両で、昭和17(1942)年度の乗客は12,208人、貨物輸送量は91,575トン、1日の運行は4往復、「築別炭砿駅-築別駅」間の運行に約2時間を要した。その後築別・羽幌両砿業所の出炭量の飛躍的な増加に伴い鉄道輸送能力の増強がはかられ、昭和32(1957)年10月、国鉄から国鉄8620形(8653)蒸気機関車の払い下げを受けた。この時点での保有機関車は昭和18(1943)年購入の鉄道省9040形(9042)蒸気機関車、昭和24(1949)年、25(1950)年購入の国鉄8100形蒸気機関車2両(8114、8110)、それに昭和29(1954)年購入の鉄道省C11形(C111)蒸気機関車(写真の機関車)と合わせて5両であった。羽幌炭砿鉄道開通20周年を迎えた昭和36(1961)年度の乗客は約60万人、貨物輸送量は約100万トン。およそ3億円の収益をあげ、当時の国鉄最高の黒字線であった山手線に匹敵するほどの営業係数を示したという。運行時間もディーゼルカーで30分ほどになっていた。 

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