5階建の頃の大五ビル(当時)

昭和28(1953)年7月の朝鮮戦争終結に端を発する石炭不況の中にあって、羽幌炭砿鉄道は徹底した合理化を進めつつあった。そんな中、同社は札幌市中央区大通西五丁目の一等地1,823.5平方㍍を買収。昭和28(1953)年4月、「大五ビル」(地上5階建地下1階)の建設に着工した。昭和29(1954)年8月、竣工。ビルの名称は地番(大通西五丁目)に因んで命名したものである。一時、全館「貸ビル」として他の企業に貸与していたが、昭和36(1961)年4月に、さらに二階(6階部分と7階部分)を増築、地上7階建地下1階とし、7階の全フロアを同社本社事務所とした。ここが会社のシンボルでもあり、将来の発展のための本陣となった。因みに、日商㈱札幌支店もこの「大五ビル」に入居していた。当時は軍艦ビルとも呼ばれ、外壁の一部には大理石、内装の階段のてすりやドアノブ、窓の鍵には真鍮を使うなど重厚な造りであった。「大五ビル」は現在も現役として活躍しており大通美術館や一般企業が入居しているが、建物の外観には歴史を感じさせる重厚な雰囲気が漂っている。また、内部の階段の手すりなどは今も丁寧に磨かれており、建設当時と変わらない美しい輝きを放っている。                            

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