太陽中学校(昭和43年3月頃)

太陽中学校は昭和22(1947)年5月1日、岡町の太陽小学校に併置する形で2学級、生徒数107名をもって開校した。「太陽」の名称は、創業期の炭鉱所有者で鈴木商店の後継会社たる太陽曹達(後の太陽産業)に由来する。昭和30年(1955)年から翌年にかけて、金子町に段階的に独立校舎が完成し、独立移転。場所は羽幌炭砿鉄道病院の北東方向に位置していた。昭和42(1967)年時点で12学級、生徒数319名。昭和46(1971)年5月31日、炭砿の閉山に伴い閉校。現在、太陽中学校跡には校舎などの建物の痕跡は残っておらず草原になっている。体育館の建物は閉校後に解体の上羽幌町の港に移設・復元され、今も倉庫として利用されている。建物内部の柱などの造作は当時のままであり、頑丈な昔の雰囲気を保ち続けている

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